2018年11月2日金曜日

鷲田清一「折々のことば」1269を読んで

2018年10月27日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1269では
夏目漱石の講演「道楽と職業」から、次のことばが取り上げられています。

  昔の職業というものは大まかで、何でも含ん
  でいる。

明治時代にすでに、漱石はそんなことを語っていたのですね!先見の明に今更
ながら驚かされると共に、現代では彼が考えていた以上の職業の細分化が進んで
いて、彼もこの現実を目にしたらあきれるだろうなと思います。

何も職業だけに限らず、学問にしても、趣味の領域にしても、食べ物や服装の嗜好
にしても、今は色々な分野で細分化が進んでいるように感じます。専門性の深化、
個性の重視ということでしょうか?見方によっては、人間性からますます曖昧なもの
が排除されて、隙なく窮屈になって来ているようにも、思われます。現代社会の堅苦
しさと無縁ではないのかもしれません。

さて職業に限ってみると、私の子供時代でさえ、境界の曖昧な職種があったと感じ
ます。子供の頃のことなので自分でも分かりやすい例を挙げると、当てもの屋など
その最たるものではないでしょうか?私の知っている当てもの屋は、駄菓子も売って
いましたが、主な商売は景品が当たるくじを子供に販売することで、その景品には
おもちゃがあったり、食べ物もあったり、子供にとっては玩具屋と菓子屋とゲーム
センターを兼ねたような店でした。

ここで唐突に話題が飛躍しますが、私たちの三浦清商店は同じ白生地屋ではあり
ながら、京都の一般的な白生地屋が呉服の反物を専門的に商っているのに対して、
色々な種類や生地巾の白生地を反売りだけではなく、切り売りでも販売しています。

それだけお客さまにとっても用途の範囲が広がるということで、多方面の方々に
ご利用いただければと、考えています。

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