2018年11月29日木曜日

母の死について

この前の日曜日に私の母が亡くなりました。享年90歳でした。

7年前に父が亡くなるまで二人三脚で家業の三浦清商店に携わり、父の死後はやっと
肩の荷を下ろして余生をゆっくりと楽しめるはずでしたが、持病の心臓病もあって
入退院を繰り返すことになりました。

しかし入院するたびに元気に回復して、柔らかい笑顔で感謝の言葉を私たちに与えて
くれました。いつしか母の介護が、仕事と共にある日々の生活の上での、一つの心の
支えになっていたように感じます。

三週間ほど前、店の離れの自室で過ごしていた母がベッドの脇で倒れ、左股関節骨折
で緊急入院することになりました。その時も私たちには、また復活してくれるはずだと
いうほのかな期待がありました。

しかし本来は、骨折部分をつなぎ合わせるための手術を受けるべきところが、心臓が
弱って負担に耐えられないということで手術が見送られることになり、病室のベッドで
安静にしている時間が長くなると、母の食欲がなくなり、体力も急速に衰えて行きました。

そんな日曜日の早朝、病院からの容態悪化の電話に飛び起こされて、急いで病院に
向かいました。ベッドの上に横たわる母はチューブで酸素を口に送り込まれながらも、
まだこちらの言葉には反応して、比較的状態は安定しているように見えました。

ところがその1時間半後、徐々に低くなって来た血圧が急速に下がり始め、それに合わ
せて呼吸も弱々しくなり、モニターの心電図の波形がゆるやかになって来たかと思うと、
静かに目を閉じ、母は息を引き取りました。その間、約10分ほどの出来事だったと思い
ます。

私が母を見守る病室は東向きに窓が設けられ、空が白み始めるてほどなくカーテンを
開けたので、比叡山や東山連峰の峰々が少しづつ朝焼けに染まり、空が青さを増して
行く様子が手に取るように見えました。丁度朝日の輝きと引き換えに、母はこと切れた
ように感じました。

その瞬間、窓外の美しいパノラマを背景にして、命というものが本来持つ荘厳さが立ち
上がって来るのを、私は確かに感じたような気がします。一生忘れられない体験でした。



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