2020年3月2日月曜日

「おしゃれ 立ち止まり考える今」を読んで

2020年2月10日付け朝日新聞夕刊では、上記のテーマで甲南女子大学の米澤泉
教授とファッション誌編集者、軍地彩弓さんが、現代の若者のファッション指向に
ついて語っています。無論洋装が念頭にあるのですが、和装にも通じると感じられ
たので、私も興味深く読みました。

二人の論を要約すると、最近の学生はファッションや化粧への関心が低い。着飾る
ことや、体に窮屈なものは遠ざける傾向にあり、今は快適に生活することの方が
優先されている。社会がカジュアル化して週末のお出かけがなくなり、儀式、葬式
の簡略化で式服も不要となるなど、TPOの消失も大きい。

また、スマホの普及によって、流行の作り方や雑誌の役割が変わるなど、ファッショ
ン誌も変化した。以前は雑誌が新しい価値観を提供して読者をあおった部分もあっ
たが、今は夢を与えるのではなくハウツーを教えるものになっている。これまでと逆
に、メディアが読者を追いかけるようになった。

更には、若い世代は現実のものに執着しない。自分が価値を見出すものであれば、
仮想のものに率先して代価を支払う。持つことが悪という意識が生まれている。

しかし一方、最近若い世代が、信条や思想が一貫しているブランドである、日本の
ヨウジヤマモト、イッセイミヤケ、コムデギャルソンに、改めて興味を抱いていること
からも推察されるように、人とな何か、着るとは何かという根源的な問いがなされて
いるのではないか。つまり、ファッションが嫌いになったわけではなく、本質的な
ところに戻りつつある、と思われる。それゆえに若者たちが、時代に関係なくいい
ものはいいと受け入れるようになり、同時に環境意識や正しさに賢く帰結していけ
ば、新たなファッション界の隆盛が訪れるかもしれない。

以上です。多少楽観的な結論になっていて、現実がそのようにうまく運ぶかは甚だ
疑問ですが、若者の嗜好、購買行動などには、なるほどとうなずける部分が多いと
感じました。

翻って、一定以下の世代での和装離が言われだしてからもかなりの年月が経過し、
もはやほぼ全世代で和装離れが進んでいますが、確かに若い人たちの中に伝統的
な価値観に興味を持つ人も生まれて来ています。我々和装業に携わる者が、そう
いう人々が失望しないように導いて行くことも、私たちの大切な役割だと思います。

2020年2月28日金曜日

鷲田清一「折々のことば」1723を読んで

2020年2月8日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1723では
臨床心理士・東畑開人による、同紙東京本社版1月22日付け夕刊の寄稿「大佛次郎
論壇賞を受賞して」から、次のことばが取り上げられています。

   誰かに依存していることを忘れるほどに依存
   できている状態が自立である

人間は社会的存在である以上、自立的に生きているといっても、それは周りの多く
の人の助けによって生かされていることであることは、客観的に見れば間違いの
ないことでしょう。

しかし我々は、得てして自分一人で上手くやっていると、考えがちなものです。私など
もまだ若く、某企業に勤めていた時に、エリア営業に回された最初の一年間、大変な
好成績を収めて有頂天になったことを、含羞と共に思い出します。

後から分かったその訳をいうと、新人に好成績を上げさせて自信を与えるために、
他の先輩社員がそれぞれ、支店に割り振られた営業ノルマを余分に分担して、私の
ノルマを低く抑えてくだっさていたおかげで、私が好成績を収めることが出来た、という
ことでした。

それをついぞ知らない私は、自分の好成績をかさに着て、当時周囲の先輩たちに
随分生意気なことを言っていたことを、今更ながら申し訳なく思います。でもその
事実を後に知ったおかげで、多少は周りの人の恩恵に、自覚的になれたのかも知れ
ません。

また、一昨年まで母の介護を自宅で続けて来た中で、母が体調が安定して、機嫌よく
してくれていることが、私の一番の心の慰めでしたが、調子のいい時の母は、周囲へ
の感謝を述べながらも、介護している私たちにあまり手間を掛けさせていないという
ことが、ひそかな自慢のようでした。

このような場面では、母が自立的に暮らしていると実感出来ることが、私の喜びでも
あったと、今は感じます。

2020年2月26日水曜日

頭木弘樹著「絶望読書」河出文庫を読んで

著者の頭木弘樹については予備知識がなく、本書の書名に惹かれて手に取ったので、
私はこの本に何か自分を痛めつけるような、被虐的な要素を求めていたところがあった
と感じます。

しかし実際に読むと、そのような邪な期待は見事に外れて、本書は絶望する人に福音
をもたらす可能性のある、あるいは現状は絶望していなくても、将来は絶望するかも
知れない人、つまり全ての人間に、生きる指針を与えてくれる可能性のある、慈愛に
満ちた書であることが分かります。

この本は、第一部―絶望の「時」をどう過ごすか?―、第二部―さまざまな絶望に、
それぞれの物語を!―の二部構成で、第一部は、絶望した時にその心の状態に相応
しい本を読むことの必要性を説きますが、ここで私が目を開かれたように感じたのは、
絶望した時には直ぐに回復することを目指すのではなくて、心が十分に整えらる時間
を待ってから回復に努めるべきであるということを、指摘する部分です。

現代社会に生きる私たちは、効率性や迅速さに高い価値を置くことから、何でも負の
状態にあるものは速やかに正の状態に戻すべきであると、考えがちです。しかし心と
いうものは、機械のように修理したら直ぐに元に戻るものではなくて、その傷を受け
入れ納得の上で癒しを求めるという、回復の準備期間が必要とされます。それを無理
に直そうとすると、後から絶望がぶり返すような強い後遺症に襲われることがある、と
本書は説きます。

そしてその絶望状態(回復の準備期間)に優しく寄り添ってくれるのが、絶望読書なの
です。

第二部では、絶望の種類別に相応しい文学、落語、映画、テレビドラマを解説付きで
挙げています。私はその中でも、著者自身も思い入れが強いと思われる、カフカの
日記、手紙の章が強く印象に残りました。

周知のように、後世にその文学的才能を高く評価されたカフカですが、生前はある
程度恵まれた生活環境にあったとはいえ、市井の普通の人間として暮らしたといい
ます。しかし内心は色々絶望を抱えていて、それらと折り合いを付けながら生きてい
ました。その日記、手紙に著された内心の声が、絶望に苦しむ人の救いになるといい
ます。

著者自らが若い頃に難病を患って、絶望の淵に立たされた経験が、その著す文章に
説得力を生み出すと共に、彼の同じく苦しみを抱える人を一人でも助けたいという心
の温かさが、この本の読後に爽やかな涼風を吹き抜けさせます。本書で紹介されて
いる、「絶望名人カフカの人生論」も読みたくなりました。

2020年2月24日月曜日

鷲田清一「折々のことば」1722を読んで

2020年2月7日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1722では
経済学史家・堂目卓生の著書『アダム・スミス』から、次のことばが取り上げられてい
ます。

   経済を発展させるのは「弱い人」、あるいは
   私たちの中にある、「弱さ」である。

そう、今でこそ私たちは、経済というとすぐに、弱肉強食の新自由主義を連想します
が、本来の経済は、弱い立場の(困っている)人間がスムーズに欲求を充たす方法
を探る目的で、生まれたはずです。

私は大学の経済学部出身ですが、最初に習ったのは、需要と供給の法則、つまり
需要(人が求めるもの)の量と供給(人に提供するもの)の量は均衡する、という
経済の原則です。これは、人間の欲求に対して、必要な量のものを生産するため
の目安を導き出す方法、とも言えます。

私たちが商売をすることについても、父から聞かされてきたところによると、第二次
世界大戦の敗戦後、最初商う品物が極端に欠乏していて、配給でしか確保すること
が出来ず、配給を受けることが許可される商店は、住民の投票によって決定された
ということで、かつての得意先、ご近所の人々が、私たちの店に投票をしていただき、
商売を続けることが出来た、ということが本当に有難かった、ということでした。

人々が求める商品が極度に不足している中で、その品を取り次ぐ店として認めて
頂き、その貴重な商品を求める人々に出来るだけ公正に届けるという商行為が、
使命感のある仕事であったことが、想像されます。

あるいは経済が、人間の心の弱さ、猜疑心や虚栄心、嫉妬心などの思惑で動く
側面もあるでしょう。その一端は、地価や株式相場の異常な高騰、バブルの崩壊
などの狂騒的な現象に、現れています。

いずれにしても、人間とは本来弱い存在で、それゆえに私たちのような零細な店は、
原点に返って、真摯に謙虚に商売を営まなければならないと、改めて感じます。

2020年2月21日金曜日

原武史著「平成の終焉ー退位と天皇・皇后」岩波新書を読んで

天皇の生前退位が実現して、元号が平成から令和に代わりましたが、その時点で
振り返ると、同じ象徴天皇制と言っても、その前の昭和と平成で天皇のイメージが
大きく変化したにも関わらず、具体的にどの部分が変わったのかは、理解していな
かったことに気づきました。

本書は、2016年夏の平成天皇の退位の意向表明の「おことば」を起点として、昭和
から平成にかけて天皇制はいかに変化したか、を読み解く書です。

私自身のそれぞれの天皇に抱く印象から記すると、昭和天皇は象徴天皇になって
後も、戦前の君主としての天皇の影を色濃く引きずり、戦争で辛酸をなめた世代
には彼に対する複雑な感情があり、新左翼の学生、知識人は彼の糾弾を主張して
一定の支持を集めていました。天皇自身の立ち居振る舞いも、親しみやすさを指向
しながらなお、近寄りがたい雰囲気をまとっていたように感じられました。

それに対して平成天皇は、天皇、皇后夫妻がいつも行動を共にする仲睦ましさ、
子育てなど家庭生活も公開を辞さないざっくばらんさがあり、また被災地を訪問した
おりに、膝をかがめて被災者と同じ目線で相手を励ます謙虚さ、他者の心の痛み
に寄り添おうとする親和感がありました。

そのような前提の上で「おことば」に立ち返ると、平成天皇は、国民の象徴としての
天皇の存在の意味は、常に国民に寄り添い、その安寧と幸せを祈ることである、と
述べています。つまり自身の役目は、国民のために祈る宮中祭祀と全国津々浦々
を訪れて国民に直接触れることであり、高齢のためにその務めを果たすことに支障
を来たすゆえに交代したい、というものでした。

昭和天皇も宮中祭祀に熱心であったと聞きますが、その点は平成天皇も継承して
いるのでしょう。しかし本書を読むと、行幸啓(天皇、皇后、皇太子、皇太子妃の
外出)の性格は、昭和、平成両天皇で大きく違うことが分かります。

すなわち平成天皇、皇后は、被災地や老人ホーム、ハンセン病療養施設、水俣病
患者などの社会的弱者を積極的に慰問し、沖縄、長崎、広島、海外にも及ぶ
戦災地に、慰霊の旅を続けたのです。この象徴としての務めを自覚した献身的な
行動が、今日の平成天皇、皇后の多くの支持を集めるイメージを作ったのでしょう。

しかし同時に、この天皇の「おことば」は、実際の退位の経緯を見ると、天皇は国政
に関する権能を有しないという憲法の規定に、抵触する恐れがあります。そこにこそ
象徴天皇制の矛盾があると感じられます。

2020年2月19日水曜日

鷲田清一「折々のことば」1716を読んで

2020年2月1日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1716では
ドイツ文学者・種村季弘の『食物漫遊記』から、次のことばが取り上げられています。

   いかにもうまそうに書くこととうまいものを
   味わうことは別のことである。

よく食は文化と言われ、文明の発達したところには必ず美味しい食べ物があるとも
言われますが、実際に味わいながら語るのと違って、文章で美味しさを伝える試み
は、より高尚なことかもしれません。

味わいながら語るという部分で、私がまず思い浮かべるのは、テレビのグルメ番組
で、そういえばお笑いタレントや人気俳優が美味しいものを食べて、大げさに幸せ
そうな表情をしたり、ゼスチャーたっぷりに美味しさを表明するのが、定番です。

それを見ていると、こちらもついつい顔がほころび、陽気な気分にはなれますが、
確かにその情景は、あまり格調高いものではありません。

一方、文章でものの美味しさを伝えるためには、書き手が食べたものをまず味わい、
どうして美味しいかを分析し、読み手の想像力に訴えかけるかたちで、文章に綴る
ことが必要でしょう。これにはかなり高度なテクニックを要すると、感じられます。

それが証拠に、インターネット上のグルメ情報では、画像と星などの等級でその
飲食店、レストランのおすすめ料理等が紹介されていて、これから行こうとする店を
選ぶには大変便利ですが、これらのサイトにも、文化的な香りはありません。

つまり、動画、画像などの直接的な刺激によって、食欲という欲望をくすぐられるの
ではなくて、文章によって想像力を掻き立てられる方が、受け手にとっても遥かに
文化的な営為なのでしょう。そこには成熟した落ち着きが感じられると、私は思い
ます。

2020年2月17日月曜日

「考える 翻訳で生まれた物語 多和田葉子解説」を読んで

2020年1月29日付け朝日新聞夕刊、「考える」のコーナーでは、今年度朝日賞受賞
の小説家で詩人の多和田葉子が、「翻訳で生まれた物語」と題して、自作の小説に
ついて語っています。

多和田はドイツ在住で、日本語、ドイツ語で執筆活動を行い、その作品は広く各国語
に翻訳されているということで、「翻訳」は彼女の作品の一つの重要なキーワードに
なっているようです。

私は多和田作品が好きで、これまで数編の小説を読みましたが、その都度感動を
覚えたものの、彼女の小説は観念的な部分も多く、どこまでその語りたい真意を理解
出来ているのか、おぼつかなく感じるところがありました。

今回この新聞記事を読んで、今までに読んだ彼女の作品の理解が、深まったと感じ
るところがあったので、以下に記してみます。

最初に読んだ『雪の練習生』では、ホッキョクグマの「わたし」が主人公で、冒頭から
意表を突かれますが、私自身は熊の視点から見た物語ということと、この動物が
ドイツで大変に愛されているという点を、興味深く読みました。

この記事で多和田は、主人公がロシアからドイツに亡命したというストーリー展開から、
この物語がロシアではまだ刊行されず、逆にロシアに批判的なウクライナではすぐに
翻訳されたと、語っています。また、中国では「西側の民主主義を皮肉った本」として、
いち早く翻訳版が出たそうです。

この事実は、この物語の筋の多義性が、各国の事情によって微妙に違う解釈を生み
出していること、そして世界の複雑な政治情勢が、図らずも物語の底から浮かび
上がって来ることを、私に気づかせてくれて、面白く感じました。

次に英訳で広く読まれ、全米図書賞を受賞した『献灯使』では、大災害後の鎖国を
選んだ将来の日本が舞台となっていますが、この設定が東日本大震災に触発された
ものであるだけではなく、元気な老人と繊細でひ弱な子供のイメージは、石牟礼道子
の水俣や、ベラルーシのノーベル賞作家、アレクシエービッチのチェルノブイリの描写
から想起されたものである、ということです。

一つの物語が、全地球規模の視野から描き出されていることに、改めて彼女の作品
が、日本のみならず世界各国で愛される秘密を、知った気がしました。