2026年7月2日木曜日

「鷲田清一折々のことば」3593を読んで

2026年3月10日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」3593では 20世紀フランスの哲学者アンリ・ベルクソンの『道徳と宗教の二つの源泉』から、次の言葉が取り 上げられています。    無くてはすまぬものをなおざりにしたわ    けではないが、無くてもすむ潤沢のほう    へ意を用いすぎた。 つまり蒸気機関の発明以降の産業主義は、人間が抱える切実な欲求を満たす恩恵をもたらしたが、 その一方で贅沢の追求まで突き進み、「それが満たすべきさまざまな欲求の間の軽重の度」を疎か にしてきた、とベルクソンは言うのです。 産業革命は、私たちの生活を飛躍的に豊かにしました。それ以前の庶民の質素な生活からは、隔世 の感があります。しかし資本主義は、欲望を次々に創出していく機能を持っています。一つのこと が満たされたなら、それに関連する次の欲望を生み出すというように。 その結果私たちは、現在では色々な工業製品に囲まれるようになって、最早新しく欲するものがなか なか見出せない状態になっているように思われます。 そのような飽和状態は、一見豊かさを表わしているように感じられますが、その実必要でないものを ため込んでいたり、本来なら自分で工夫して作ればいいものを敢えて既製品で代替して、無駄に労力 を惜しむことになっていることも多々あると思われます。 このような生活は、人間が知恵を用いたり、労働に勤しむ創造的で健康的な暮らし方を妨げている ように感じられます。矢張り利便性も程度の問題。今日で言えば、AIの活用法などもこれに関わって くるように思われます。