2020年2月19日水曜日

鷲田清一「折々のことば」1716を読んで

2020年2月1日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1716では
ドイツ文学者・種村季弘の『食物漫遊記』から、次のことばが取り上げられています。

   いかにもうまそうに書くこととうまいものを
   味わうことは別のことである。

よく食は文化と言われ、文明の発達したところには必ず美味しい食べ物があるとも
言われますが、実際に味わいながら語るのと違って、文章で美味しさを伝える試み
は、より高尚なことかもしれません。

味わいながら語るという部分で、私がまず思い浮かべるのは、テレビのグルメ番組
で、そういえばお笑いタレントや人気俳優が美味しいものを食べて、大げさに幸せ
そうな表情をしたり、ゼスチャーたっぷりに美味しさを表明するのが、定番です。

それを見ていると、こちらもついつい顔がほころび、陽気な気分にはなれますが、
確かにその情景は、あまり格調高いものではありません。

一方、文章でものの美味しさを伝えるためには、書き手が食べたものをまず味わい、
どうして美味しいかを分析し、読み手の想像力に訴えかけるかたちで、文章に綴る
ことが必要でしょう。これにはかなり高度なテクニックを要すると、感じられます。

それが証拠に、インターネット上のグルメ情報では、画像と星などの等級でその
飲食店、レストランのおすすめ料理等が紹介されていて、これから行こうとする店を
選ぶには大変便利ですが、これらのサイトにも、文化的な香りはありません。

つまり、動画、画像などの直接的な刺激によって、食欲という欲望をくすぐられるの
ではなくて、文章によって想像力を掻き立てられる方が、受け手にとっても遥かに
文化的な営為なのでしょう。そこには成熟した落ち着きが感じられると、私は思い
ます。

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