2020年2月28日金曜日

鷲田清一「折々のことば」1723を読んで

2020年2月8日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1723では
臨床心理士・東畑開人による、同紙東京本社版1月22日付け夕刊の寄稿「大佛次郎
論壇賞を受賞して」から、次のことばが取り上げられています。

   誰かに依存していることを忘れるほどに依存
   できている状態が自立である

人間は社会的存在である以上、自立的に生きているといっても、それは周りの多く
の人の助けによって生かされていることであることは、客観的に見れば間違いの
ないことでしょう。

しかし我々は、得てして自分一人で上手くやっていると、考えがちなものです。私など
もまだ若く、某企業に勤めていた時に、エリア営業に回された最初の一年間、大変な
好成績を収めて有頂天になったことを、含羞と共に思い出します。

後から分かったその訳をいうと、新人に好成績を上げさせて自信を与えるために、
他の先輩社員がそれぞれ、支店に割り振られた営業ノルマを余分に分担して、私の
ノルマを低く抑えてくだっさていたおかげで、私が好成績を収めることが出来た、という
ことでした。

それをついぞ知らない私は、自分の好成績をかさに着て、当時周囲の先輩たちに
随分生意気なことを言っていたことを、今更ながら申し訳なく思います。でもその
事実を後に知ったおかげで、多少は周りの人の恩恵に、自覚的になれたのかも知れ
ません。

また、一昨年まで母の介護を自宅で続けて来た中で、母が体調が安定して、機嫌よく
してくれていることが、私の一番の心の慰めでしたが、調子のいい時の母は、周囲へ
の感謝を述べながらも、介護している私たちにあまり手間を掛けさせていないという
ことが、ひそかな自慢のようでした。

このような場面では、母が自立的に暮らしていると実感出来ることが、私の喜びでも
あったと、今は感じます。

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