2020年2月7日金曜日

鷲田清一「折々のことば」1709を読んで

2020年1月25日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1709では
随筆家・串田孫一の『考えることについて』から、次のことばが取り上げられています。

  想い出の持ち方というのは、想い出し方とい
  うことにもなるだろう。

なかなか含蓄に富むことばだと、感じました。人は想い出を、よかれあしかれ思い込み
を伴って心に留めているものだと、感じます。

やれその思い出が心の傷となっていて、それを思い返す時には、必ず劣等感や羞恥心、
悲嘆の感情に包まれたり、かたや、この想い出が満ち足りた感情を伴って思い返される
時には、達成感や幸福感、優越感が沸き起こって来る、というように・・・。

だからそれらの想い出を、自分自身のために思い返す時でも、気を付けないと、益々負
の感情に包まれて落ち込んでしまったり、得意な気分になって、本来の自分の姿を見
失うことになりかねません。

ましてや、その想い出を人に語る時には、特に成功体験や幸福感を伴う想い出におい
ては、自慢や独りよがりになって、相手を不快にさせたり、傷付けたりすることもあるで
しょう。

私の場合、若いころに周囲への受け狙いから、ある人を大勢の人の前で笑い者にして
しまうという、取り返しのつかない失敗をしたことがあって、それ以降相手を傷付けない
ことが自分にとっての大切な価値観になった、という苦い想い出があります。

そのためにしばらく、その想い出が頭をよぎって、人と接することにどうしても憶病に
なってしまう傾向がありました。しかしその後経験を積むと共にようやく、相手の気持ち
を汲みながら、自分の想いも伝えられるようになって、その負の感情もある程度克服
できたかと、感じています。

しかしそれ以降の私は、かつての失敗の想い出を忘れ去ったということではなくて、
その体験を糧にして、新しい対人関係の結び方を見出すことが出来たのだと、今は
思っています。

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