2020年1月31日金曜日

鷲田清一「折々のことば」1708を読んで

2020年1月24日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1708では
ハンガリー生まれの経済人類学者、カール・ポランニーの『経済の文明史』から、次の
ことばが取り上げられています。

   人間の経済は原則として社会関係のなかに埋
   没しているのである。

このことばの中の、‟埋没”についての私の解釈が正しいかどうかは分かりませんが、
以下私なりの理解で話を進めて行きます。

私はこのことばの中の‟埋没”の意味を、本来は埋もれてしまって表面には現れない
ものと、解釈しました。従って従来の社会では、市場の価値があらゆる価値の公分母
とは決してならず、経済的尺度を最優先する社会ではなかった、ということになります。

確かに従来の社会では、宗教、因習、血縁や所属する組織の中での人間関係が、
価値の尺度として最も優先される社会であったと、推察されます。

ところが私たちの暮らすこの国の現代社会では、何にも増して経済的尺度が最優先
されているように感じられます。その端的な例として、葬儀などの宗教行事や婚礼の
簡素化や、贈答習慣の簡略化などが挙げられると、思います。

つまり、宗教心や人間関係にまつわる習俗が、経済的合理性を優先する余りに切り
捨てられて、衰退して行っているように、感じられるのです。

勿論時代の移り変わりに合わせて、人間の習慣や価値観も変化して行くものですし、
科学、医療、通信技術や、交通手段の飛躍的に発達したこの社会では、自ずと
人のものの考え方も合理化に傾くものでしょう。

しかし私には、この資本主義的価値観に従属させられているような我々の日々の
暮らしは、本来の豊かな精神世界や人間関係が長年築き上げて来た生活を、どん
どん浸食して行っているように感じられます。

そうは言っても、現状をすぐに改善する処方箋はありませんが、自分自身で実践
出来ることとしては、金銭では替えられない心を豊かにする経験を、出来るだけ
多く積むように努めることではないかと、私は考えています。

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