2020年1月20日月曜日

京都観世会館「杉浦元三郎七回忌 追善能」を観て

私が謡、仕舞を習っていた時の先生の師匠であった、故杉浦元三郎師の追善能を
観に行きました。能楽堂で能を観るのは、本当に久しぶりのことです。

故杉浦先生が京都でも有力な観世流の能楽師であったので、その跡を継ぐ豊彦師
が主催するこの追善能も、観世流宗家・観世清和師、京都観世流の名門・片山九
郎右衛門師と、有力者が出演されましたが、この日の演目では何と言っても、豊彦
師がシテをつとめられた能・景清が印象に残りました。

この能のあらすじを簡単に記すると、源平合戦で平家が破れ源氏の世となった後に、
平家の武将であった悪七兵衛景清は、世をはかなみ自ら両眼をえぐって盲目となり、
流された日向で乞食同然の身と成り果てていたところ、その娘・人丸がはるばる訪ね
て来て、父の消息をそうと気付かず変わり果てた本人に尋ねるが、景清は我が身を
恥じて名乗らない。その後里人のとりなしで親子は感動の再会を果たし、娘の頼み
に応じて景清は屋島の合戦での自らの武勇を語り、亡き後の回向を頼んで人丸と
別れる、となります。

この能はシテが体の衰えた盲目の設定となっていて、舞台上に設えられた庵に座し
て最終盤まで身体の動きが少なく、面をつけた顔と上体の最小限の身振り、謡だけ
で複雑な感情を表現することになるので、大変難しい演技が求められます。豊彦師
は見事にこの景清を演じきって、感動的な舞台を現出された、と感じました。

またこの演目を、故元三郎師の子であり、後継者である豊彦師が演じることは、演者
が父に跡を託されたことを示すメッセージであり、息子にとってはその覚悟を余すこと
なく表す、正に相応しい舞台であったと感じられて、深い感銘を受けました。

ただ久しぶりに能を鑑賞して、この演目の中で少し疑問に感じたことは、終盤父と娘
が分かれる場面で、娘が父を振り切って舞台を去るように見えたところで、この曲の
謡本を参照して謡の内容を確認すれば、十分に理解出来ることだとは思いますが、
舞台だけを観ていると、謡の内容は聞き取りにくいところもあるので、そのように感じ
られたところです。

現代の観客に対しては、娘役のツレが舞台を去るまでにもう一度振り返るなど、分か
りやすい演出も、必要なのではないでしょうか。とにかく、久しぶりの能の鑑賞は、私
にとって、大変有意義なものでした。

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