2020年1月1日水曜日

鷲田清一「折々のことば」1673を読んで

2019年12月19日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1673では
評論家・樋口恵子の『老~い、どん!』から、次のことばが取り上げられています。

   楽しくなくても楽しげに生きるのが、早く死
   んだ人への感謝で供養じゃないかしら。

ようやく両親を見取り、そこからやがて訪れる自身の老いに思いをはせることに
なる私にとっても、味わい深い老後への心得であると、感じました。

お年寄りには、その立場に身を置かない者には想像も出来ない、肉体的、精神的
ハンディキャップがあるはずですが、相当な高齢であっても若々しい人、元気な人
は、往々にその前提としてくよくよせず、朗らかであり、人生に対して前向きである、
という心の持ち方をしておられる人が大半であると、経験上も感じて来ました。

上記の言葉は正に、生き生きとして元気なお年寄りの気概を現わしているように、
私は受け取りました。

勿論まず第一に、肉体的に健康を保っていることが絶対条件でしょう。しかしその
健康を維持する秘訣としては、高齢になると、自覚的な健康管理だけでは十分で
はなく、健康であり続けようとする意志が必要です。

その意志を生み出すのは、生きることへの目的意識であり、楽観的な人生の捉え
方であり、些末なことに囚われない柔軟な心の在り様であると想像されますが、
更には、それらを補強するために、自分は周りの人々に、是が非でも楽しそうに
生きているように見せたいという、いい意味でのやせ我慢を通すことが必要なの
ではないでしょうか。

それこそが、《楽しくなくても楽しげに生きる》ことであり、自分が演じることで、周囲
の人たちも、幸せにすることではないかと、この言葉を読んで感じました。


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