「応仁の乱」で大ヒットを放った著者の、日本中世史における代表的な陰謀論を読み
解き、最新の歴史学の知見に基づきその是非を分かりやすく解説する書です。
一般的に私たちは、歴史的事件を陰謀論で理解しようとすることが好きです。歴史的
事件の原因は、私たちにとって霧の彼方に存在するように謎に包まれており、それで
いて結果だけは明白に後世に残されているので、ついついその原因を究明したくなり
ます。
しかも結果から原因を推測するに当たって、我々は知らず知らずに分かりやすさ、
意外性を意識したり、歴史的ロマンを介在させたりしてしまうので、話は陰謀論に傾き
勝ちになるのではないでしょうか?
また歴史を題材とした物語の作者や、歴史的事件を素材として自らの主義主張を
展開したい論者も、受け手のそのような要望に応えるため、あるいは持論を補強する
ために、自然と陰謀論にし勝ちであるように思われます。そして昨今は大衆迎合と
いう意味で、その傾向は更に顕著になって来ているように感じられます。
歴史学者である著者は、歴史をそのように歪めて理解しようとする態度に、学問的
誠実さから警鐘を鳴らし、歴史の正しい理解を広く浸透させるために、本書を執筆し
たと思われます。
本書の具体的な記述に触れると、私はテレビの時代劇でよく目にしている影響か、
第六章本能寺の変以降に、特に興味を覚えました。本能寺の変では、明智光秀が
織田信長を討つに当たり、その単独犯行の動機として、信長への恨みによる怨恨説、
天下を取りたい野望説、光秀の朝廷や室町幕府への忠誠心による勤王家説、幕臣
説が挙げられ、単独で決行するのは無理ではないかという憶測から生まれた、朝廷
黒幕説、足利義昭黒幕説、イエズス会黒幕説、秀吉黒幕説が紹介されています。
そして歴史的資料を駆使して、千載一隅のチャンスに打って出た、戦国武将光秀の
野心と結論付けています。
第七章関ヶ原の合戦では、豊臣秀次の事件から語り起して、秀吉の死後、関ヶ原
合戦に至る経緯を検証し、この合戦が巷に流布しているように、徳川家康が石田
三成を誘導した結果戦われたのではないことも、解説しています。
全体を読んで現代と違い中世の社会では、陰謀を企む当事者にとって、共謀のため
の連絡手段が圧倒的に貧弱であり、従って共謀が成り立ちにくかったこと、また人と
いうものはしばしば過ちを犯すということが実感出来て、印象に残りました。
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