2020年1月13日月曜日

「私の宝物」若尾文子編を読んで

2019年12月25日付け京都新聞夕刊、「私の宝物」では、日本映画の代表的な女優
たちに、「五つの宝物」を通して大切な作品や人との出会いを振り返ってもらう企画
の第1回として、若尾文子にまつわる「宝物」について記しています。

その「宝物」は西陣織の袋帯で、写真が添えられていますが、淡い緑や紫など多彩
な色彩が浮かび上がる金地に、七宝つなぎと花菱の模様をあしらった上品な帯で、
映画で共演した先輩女優、沢村貞子に紹介してもらった東京の呉服屋で購入した
もので、現在も大切に着用しているそうです。

また、若尾が着物の着方を学んだのは、1951年に大映に入社し、53年に溝口健二
監督の「祇園囃子」のヒロインに抜擢され、撮影前に祇園の置屋に住み込んで
役作りをした時で、映画完成後、原作者の作家、川口松太郎に褒められて、祇園で
着物、帯など一式を選んでプレゼントされたのが、初めての自分の着物であったと、
語っています。

私が感銘を受けたのは、着物の魅力について聞かれた彼女が、「洋服はスタイル
が良ければきれいに着られるが、着物は身のこなしで似合うように見えるもの」と
語っているところです。

これは全くその通りだと思われます。元来日本人は、着物が日常の衣服だったので、
自然に着物を着用した時の所作が出来ていましたが、最近は洋服での生活が普通
なので、そのような所作が忘れられている、ということです。

例えば着物は、背中から羽織って、体の前で左右の布を巻き付けて帯で締めるの
で、大きく手を振ったり大股で歩くと、着付けが乱れて、はだけてしまうことになり
ます。また、袴着用時を別として、座る時には左右の膝を合わせて裾に手をあてが
わないと、同じく裾がはだけます。その他にも、前方の物を取るときには、袖に手を
添えるなど、着崩れたり、着物を汚さないためのルールがあります。

そしてそのような所作が、日本人らしい礼儀正しさやしとやかさを、形作っていたの
です。日本の服装から生まれた文化についても、私たちはもう一度、振り返ってみる
ことが必要ではないでしょうか。

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