2017年3月1日水曜日

坂口安吾著「桜の森の満開の下・白痴」岩波文庫を読んで

坂口安吾の代表的な短編小説を編んだ書です。安吾は、第二次大戦前後にかけての
我が国を代表する小説家の一人ですが、今まで彼の作品を読んだことがなかったので、
本書を手に取りました。

読み終えて感じたのは、全般に超然とした雰囲気が漂っていることです。これは著者の
語り口にもよりますが、何か人智を超えたもの、計り知れないものを介して、男女の愛慾、
交情を描くことによって、人間とは如何なるものかを明らかにしようとする創作姿勢に
よると感じられました。

例えば「白痴」においては、空襲という極限下の主人公の男と白痴の女の逃避行を
描いて、市井の人々にとってあの戦争が何であったかを焙り出します。あるいは、「戦争と
一人の女」と「続戦争と一人の女」は、戦時下限定の男女の同棲を通して、非常時にこそ
保たれる愛のかたちを描きます。

ここで特徴的なのは、戦争を一切の感傷を排して描き出していることで、これがつまり
超然としたものに対する姿勢ともいえるのですが、かえって戦争というものの皮膚感覚の
本質を浮かび上がらせることに成功していると、感じられました。

他方、「桜の森の満開の下」と「夜長姫と耳男」は説話体の小説ですが、両者の白日夢の
ような異様な美しさは特筆に値します。前者の主人公の山賊を魅了する女は、山賊の
男をそそのかして次々と犠牲の首を求めますが、この人智を超えた邪悪の権化の女は、
鬼のようでもあり、あるいは男の心に巣くう欲望の具現化された姿のようでもあります。
いずれにしても満開の桜は狂気をはらみ、男女の愛慾の果ての無さ、虚しさを明らかに
します。

後者では、呪うか、殺すか、争うものにだけ愛情を感じる長者の娘夜長姫と、若い仏師
耳男の倒錯した愛を描きますが、優れた職人が作品を制作する時に込める情念の
烈しさを、比喩的に描き出しているようにも感じられます。

さて、現代の視点からこの安吾の短編集を見てみると、彼の時代にはまだ男女の暗黙の
交情が信じられていたと思われます。それ故彼は、舞台設定として戦争という極限の
情況や、片方の女を人智を超える特殊な存在として、通常の交情の不可能な状態をあえて
作り、その中で男女の愛情の普遍的な部分を、浮かび上がらせようとしたのではないか?
その意味では、現代には生まれ得ぬ小説であると感じました。

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