2017年3月31日金曜日

漱石「吾輩は猫である」連載を読み終えて

2017年3月28日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「吾輩は猫である」連載224をもって
物語が完結し、連載が終了しました。

考えてみると、私は随分久しぶりにこの小説を再読した訳ですが、物語の印象は
前回と全く違ったものでした。前回読んだ時には少々理屈っぽいけれども、肩ひじ
張らぬ、他愛のないおとぎ話といったイメージで、それだけ私自身が幼かったので
しょうが、今回はユーモアや皮肉をまぶした中にも、漱石の批評精神や未来予測と
いったものが透けて見えて来ました。その奥深さに、新たな感銘を受けました。

また朝日新聞での、これまでの一連の漱石の再連載作品と比較しても、「吾輩は
猫である」は、その他の作品が漱石特有の含羞によって、とかく重苦しくなりがち
なのに対して、孤独の影やうら悲しさも時折湛えながら、諧謔の力によって明るく
弾けていて、好ましく感じました。漱石が自らの精神的なリハビリのために執筆した
というのもうなずけます。

この小説の何とも言えない明るさは、文章の流れるようなリズム感、歯切れの良さに
因るところも大きいのでしょうが、この独特の文体は落語や漢詩の影響を色濃く
受けているには違いなくても、同様に西洋の文学や詩歌から学び取ったエッセンスも
強く反映されているように感じられます。

また上述の諧謔性にしても、それは落語的な滑稽さや哀感だけではなく、西洋的な
批評精神から発する皮肉を内に含むユーモアという要素も、確かに持っていると
思われます。その証拠に、それ故の苦さも読後感には含まれるのです。

いずれにしても漱石は、西洋文明が我が国に流れ込んで来たその時に、真っ先に
身を挺してそれを受け止めた作家であり、日本の文化が近代から今日に至るまで
その葛藤のなかに形成されて来たことを考え合わせると、今なおその核心の部分を
体現する作家であると、今回改めて感じました。

0 件のコメント:

コメントを投稿