2017年3月20日月曜日

漱石「吾輩は猫である」における、迷亭の未来記

2017年3月15日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「吾輩は猫である」連載216では、
苦沙弥先生の文明論を受けて、将来必然的にこの国の家族関係が希薄になると結論
付ける、迷亭の次のような未来記が展開されています。

「「・・・親類はとくに離れ、親子は今日に離れて、やっと我慢しているようなものの個性の
発展と、発展につれてこれに対する尊敬の念は無制限にのびて行くから、まだ離れなく
ては楽が出来ない。しかし親子兄弟の離れたる今日、もう離れるものはない訳だから、
最後の方案として夫婦が分れる事になる。」」

この未来記の前半で迷亭先生は、将来人間は自分で死を選択しなければ、死ぬことも
出来なくなるというような、物騒なことも語っていました。

でも、この彼の一見荒唐無稽な未来記は、150年後の今日の社会情勢に照らしてみると、
あながちでたらめとばかりも言えません。

実際日本人の寿命が飛躍的に伸びて高齢化社会に突入し、長生きはいいけれども、
認知症の問題や家族の介護負担の増大、高齢者の孤独死の問題など、様々な深刻な
問題が明らかになって来ています。また、回復の見込みのない病に侵された患者が、
自分で死を選ぶ権利といったことも、最近取り沙汰されています。

話を家族関係に転じても、先ほどの高齢化の問題も踏まえて、核家族化による親子関係
の希薄化、離婚の増加による母子家庭の貧困化の問題など、国民の経済的、あるいは
生活の質における格差の増大が、最早看過出来ない深刻な事態になっています。

こうして見ていくと、迷亭(漱石)の未来論も、なかなか洞察力に富み、先見的であると、
驚かされます。

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