2017年3月6日月曜日

漱石「吾輩は猫である」における、迷亭の夫婦論

2017ねん3月3日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「吾輩は猫である」連載209には
苦沙弥先生宅に集まる皆で、てっきり金田の令嬢と結婚すると思い込んでいた寒月君
当人が、帰省した折婚礼の手筈が既に整っていて、地元の女性と結婚したと衝撃の
報告をした時に、迷亭が思わず漏らした言葉の中に次の記述があります。

「「・・・どうせ夫婦なんてものは闇の中で鉢合せをするようなものだ。要するに鉢合せを
しないでも済むところをわざわざ鉢合せするんだから余計なことさ。既に余計な事なら
誰と誰の鉢が合ったって構いっこないよ。・・・」」

それにしても寒月君の告白には、驚かされたり、はぐらかされたりしたような心持になり
ました。

というのもインテリ青年と成金の娘、絵に描いたようなハイカラカップルの誕生の予感が、
これまでずっと思わせぶりに語られていたのに、結局はこんな落ちが待ち受けていた
なんて!まだまだ古い慣習の残る地方出身の青年にとっては、自由恋愛よりも親に
決められた地元の娘との結婚が勝る、ということでしょうか?

もっとも令嬢の両親や本人の描かれ方からして、好青年寒月君はそんな御仁と結婚
しなくて良かったと、大多数の読者が考えることでしょう。先ずは良い具合に落ち着いた、
といったところでしょうか?

でも結婚懐疑派の迷亭の論を待つまでもなく、当時はまだほとんどが見合い結婚で
しょうし、結婚することになって初めて、当人同士が顔を合わせるなどということも、珍しく
無かったのかもしれません。何やら現代の結婚とは、隔世の感があります。

また件の令嬢と寒月の結婚話の消滅は、漱石の成金批判、博士号批判の思いも、
こもっているに違いありません。

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