2014年10月29日水曜日

漱石「三四郎」における、与次郎の小さん論について

2014年10月27日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「三四郎」106年ぶり連載
(第十八回)に、与次郎が三四郎に、当時の落語家小さんについて語る
次の記述があります。

「小さんは天才である。あんな芸術家は滅多に出るものじゃない。
何時でも聞けると思うから安っぽい感じがして、甚だ気の毒だ。実は彼と
時を同じゅうして生きている我々は大変な仕合せである。今から少し前に
生まれても小さんは聞けない。少し後れても同様だ。」

小さんはとても優れた落語家だったのでしょう。でも残念ながら私にとって、
想像の域を出ません。しかし与次郎のこの言葉は、広く舞台芸術、芸能を
鑑賞する心構えとして、心に残りました。

今日では映像、音響メディアが発達し、演劇、音楽、伝統芸能なども、
実際に生で鑑賞するのではなく、テレビ番組で見たり、DVDやCDで
間接的に楽しむことが多くなりました。

しかしこのような間接的な鑑賞は、本来現場で観客との一体感の中で
演じられる種類の芸術にとっては、ともすれば本質を味わうことの
出来ない疑似体験に陥ってしまうのではないでしょうか?

もちろんこれらのメディアの存在は、この種の芸術を身近にしました。
その効用は無論否定できません。しかしその手段で楽しむ時は、
ライブとは違うことを心の隅に置いておく方が、その芸術に対する
感じ方に深みが生まれるのではないでしょうか?

明治時代の与次郎の物言いとはある意味逆説的ですが、この文章を
読んでそんなことを感じました。
                


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