2014年10月2日木曜日

渡辺京二著「幻影の明治」を読んで

「逝きし世の面影」で、私が従来抱いていた江戸時代のイメージを、
庶民の視線から心地よく覆してくれた渡辺京二が、明治という
時代の一大転換期を、今度はどのようなものとして開示するのか、
期待を胸にページをめくりました。

冒頭彼がそのための手掛かりとするのは、山田風太郎の大衆小説
です。風太郎は通俗的な小説家として名の知られた存在ですが、
先日私が読んだ「同日同刻」などからも明らかなように、歴史資料を
広い目配りで丹念に調べ上げ、独特の目線と嗅覚で物語る、時代の
気分を巧みにすくい上げた作品を書いたということです。

風太郎の大衆小説には、渡辺の語るところによると、旧価値の
呪縛から逃れられない人々、欧米的な合理主義、功利主義の
広がりに対して、義理人情や倫理観から抗う人々が頻繁に登場
します。

時代の転換は人々の精神世界において、決して予定調和的に
実現された訳ではないのです。

他方渡辺は、風太郎の作品に息づく庶民性と比較して、批判的に
司馬遼太郎「坂の上の雲」を取り上げます。第二次世界大戦の
失敗を前提に、明治期ナショナリズムの高揚を牧歌的に謳い上げて
いるからです。そこでは、明治の近代化の成功を際立たせるために、
江戸期の遺産が意図的に貶められているといいます。

私たちを高所から心地よく鼓舞するものには、常に冷静に一定の
距離を置いて対することが望ましいということを、示唆してくれている
ように思われます。

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