2016年2月26日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「門」105年ぶり連載
(第百回)に、いよいよ修行に訪れた禅寺を去る日、宗助がとうとう悟りを得る
ことが出来なかった自らの参禅体験を振り返る、次の文章があります。
「彼は門を通る人ではなかった。また門を通らないで済む人でもなかった。
要するに、彼は門の下に立ち竦んで、日の暮れるのを待つべき不幸な人で
あった。」
ゆるやかに淡々と話が進んで来た、この作品のクライマックスシーンで
あると、私は感じました。
安井の出現という幻影に怯えて、彼は現実を逃避してともかくの安息を得ようと、
禅寺に逃げ込みました。しかし近代的な懐疑や、自我に邪魔をされて、悟りの
端緒さえつかむことが出来ませんでした。
修行を始めてからの彼は、宜道の恩義に報いるためにも、何とか悟りを
開こうと焦っていました。その思いは、予め決められた山を下りる日が近づくに
つれて、彼を責め立てました。
しかし、ついにその日がやって来た時、宗助は自身の来し方、行く末を、
あたかも高い山から鳥瞰するような透徹した目を獲得するに至りました。それに
従って自らの性分、立場を、ある種の諦めを持って受け入れる余裕を獲得する
ことになったのです。
これも彼にとっての一種の悟りではないか、私はそのように感じました。
2016年3月4日金曜日
2016年3月2日水曜日
龍池町つくり委員会 26
3月1日に、第44回「龍池町つくり委員会」が開催されました。
今回は、2月28日に開催された杉林さんのカルタプロジェクト「マンガ家さんと
一緒にカルタをつくろう」の結果報告を踏まえて、話し合われました。
私は残念ながら参加出来なかったのですが、当日は子供約30名、関係の
大人を含めると約50名の方に集まっていただいたということです。
この催しで子供たちが色を塗ったカルタは近々完成し、当委員会でもこれから
活用出来るということですが、プロジェクトはこれで終了するのではなく、
カルタを描くマンガ家の方々も含め、よりカルタの内容を充実させるために、
カルタの題材となる場所や対象を訪問、あるいは見聞して、より完成度の
高いものにして行こうということが、確認されました。
またカルタに描かれた場所を、実際にカルタを制作する子供たちと訪れたり、
内容を実感させるための体験をしてもらうなど、スタンプラリーとジョイントした
催しも企画したらどうかという提案も、杉林さんから出されました。
この催しへの参加者を募る手段として、今回初めて広報誌土曜塾と中京新聞に
案内の記事を掲載依頼したのですが、予想以上に反響が大きかったので、
今後も折に触れて活用しようということで、全員のの意見が一致しました。カルタ
プロジェクトは、さらなる広がりが期待されます。
2015年度の活動はこれで終了して、2016年度の計画は、4月に大原学舎での
花見、夏には鷹山囃子方の方々の協力を得て、浴衣を着て祇園祭を楽しむ
企画、秋にはスタンプラリー、お正月はきもの茶話会と、行事の大枠が
ほぼ確定しました。
今回は、2月28日に開催された杉林さんのカルタプロジェクト「マンガ家さんと
一緒にカルタをつくろう」の結果報告を踏まえて、話し合われました。
私は残念ながら参加出来なかったのですが、当日は子供約30名、関係の
大人を含めると約50名の方に集まっていただいたということです。
この催しで子供たちが色を塗ったカルタは近々完成し、当委員会でもこれから
活用出来るということですが、プロジェクトはこれで終了するのではなく、
カルタを描くマンガ家の方々も含め、よりカルタの内容を充実させるために、
カルタの題材となる場所や対象を訪問、あるいは見聞して、より完成度の
高いものにして行こうということが、確認されました。
またカルタに描かれた場所を、実際にカルタを制作する子供たちと訪れたり、
内容を実感させるための体験をしてもらうなど、スタンプラリーとジョイントした
催しも企画したらどうかという提案も、杉林さんから出されました。
この催しへの参加者を募る手段として、今回初めて広報誌土曜塾と中京新聞に
案内の記事を掲載依頼したのですが、予想以上に反響が大きかったので、
今後も折に触れて活用しようということで、全員のの意見が一致しました。カルタ
プロジェクトは、さらなる広がりが期待されます。
2015年度の活動はこれで終了して、2016年度の計画は、4月に大原学舎での
花見、夏には鷹山囃子方の方々の協力を得て、浴衣を着て祇園祭を楽しむ
企画、秋にはスタンプラリー、お正月はきもの茶話会と、行事の大枠が
ほぼ確定しました。
2016年2月28日日曜日
鷲田清一「折々のことば」322を読んで
2016年2月26日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」に
森鴎外の長男の医学者の「耄碌寸前」から引いた、次のことばが
取り上げられています。
人生を模糊たる霞の中にぼかし去るには耄碌状態が一番よい。
夭折が悲惨なのは、明晰な意識のままで死を迎えるという部分による
比重が大きいと思います。殊に、かつて死の病と恐れられた結核は、
若くに発病して、意識ははっきりとした状態で徐々に死に至るという
意味において、幾多の悲劇を生み出したと感じさせます。
それゆえ現代医学がほぼ結核を克服して、最早ほとんどの場合、死を
恐れなければならない病ではなくなったということは、医学の発展の
画期的な成果でしょう。
しかし他方医学の進歩は、今日に至ってかつては考えられないほどの
長寿をもたらしました。そのような状況の中で、高齢を迎えた人々の多くは
自分がいつまで生きながらえるのかと戸惑い、またこれから老年を迎える
人々は、自身の老後の展望が開けない状況に、漠然とした不安を抱く
ということも、しばしば見受けられるようになって来たと感じられます。
また高齢化に伴って、認知症という病も私たちを恐れさせるようになって
来ました。しかし考えようによっては、認知症を患う当事者は、自分を
取り巻く環境さえ整っていたら、恐怖や不安をきれいに忘れ去って、
安らかな死を迎えられるのかも知れません。
いや少なくとも、認知症の老人を介護する家族は、そのように考える
ことが出来たら、随分気持ちが楽になるように感じます。上記のことばを
読んで、ふと、そんなことを夢想しました。
森鴎外の長男の医学者の「耄碌寸前」から引いた、次のことばが
取り上げられています。
人生を模糊たる霞の中にぼかし去るには耄碌状態が一番よい。
夭折が悲惨なのは、明晰な意識のままで死を迎えるという部分による
比重が大きいと思います。殊に、かつて死の病と恐れられた結核は、
若くに発病して、意識ははっきりとした状態で徐々に死に至るという
意味において、幾多の悲劇を生み出したと感じさせます。
それゆえ現代医学がほぼ結核を克服して、最早ほとんどの場合、死を
恐れなければならない病ではなくなったということは、医学の発展の
画期的な成果でしょう。
しかし他方医学の進歩は、今日に至ってかつては考えられないほどの
長寿をもたらしました。そのような状況の中で、高齢を迎えた人々の多くは
自分がいつまで生きながらえるのかと戸惑い、またこれから老年を迎える
人々は、自身の老後の展望が開けない状況に、漠然とした不安を抱く
ということも、しばしば見受けられるようになって来たと感じられます。
また高齢化に伴って、認知症という病も私たちを恐れさせるようになって
来ました。しかし考えようによっては、認知症を患う当事者は、自分を
取り巻く環境さえ整っていたら、恐怖や不安をきれいに忘れ去って、
安らかな死を迎えられるのかも知れません。
いや少なくとも、認知症の老人を介護する家族は、そのように考える
ことが出来たら、随分気持ちが楽になるように感じます。上記のことばを
読んで、ふと、そんなことを夢想しました。
2016年2月25日木曜日
漱石「門」における、悟りを開くことが出来ず、山を下りる宗助
2016年2月25日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「門」105年ぶり連載
(第九十九回)に、宜道の親身になった導きにも係わらず、とうとう参籠中に
悟りに達することが出来なかった自らの不甲斐なさを嘆く、宗助の様子を
記する次の文章があります。
「宗助は自分の境遇やら性質が、それほど盲目的に猛烈な働を敢てするに
適しない事を深く悲しんだ。いわんや自分のこの山で暮らすべき日は既に
限られていた。彼は直截に生活の葛藤を切り払うつもりで、かえって迂闊に
山の中へ迷い込んだ愚物であった。」
宗助が無力感に囚われる様子が、伝わって来ます。漱石の分身で、近代的
自我の持ち主であった宗助には、最早心の雑念の全てをかなぐり捨てて、
一心不乱に道を求めることは、到底不可能だったのでしょう。
それは現代の自分に顧みても、更に納得出来ます。私には、彼以上に
不可能です。
以前、比叡山の千日回峰行を満行された行者の方の講演を、聞いたことが
あります。この行は、七年の歳月をかけて漸く達成されるそうですが、その
行者の方は、「私の満行の価値は、江戸時代以前に達成された行者には
遠く及ばない。なぜなら、その当時は人間の寿命が遥かに短く、全生涯に
占めるこの修行の歳月の意味が、今とはまるで違う。」と語っておられました。
勿論、謙遜も含まれるでしょうが、現代の世からすると霧の彼方の
江戸時代の修行者の心構えは、宗教的熱情において計り知れないものが
あったに違いありません。
漱石が生きた明治の世にあっても、彼のような先進的な近代人にとっては、
伝統の中に生き続ける宗教的信条というものには、どうしても体質的に
馴染めないところがあったのでしょう。
(第九十九回)に、宜道の親身になった導きにも係わらず、とうとう参籠中に
悟りに達することが出来なかった自らの不甲斐なさを嘆く、宗助の様子を
記する次の文章があります。
「宗助は自分の境遇やら性質が、それほど盲目的に猛烈な働を敢てするに
適しない事を深く悲しんだ。いわんや自分のこの山で暮らすべき日は既に
限られていた。彼は直截に生活の葛藤を切り払うつもりで、かえって迂闊に
山の中へ迷い込んだ愚物であった。」
宗助が無力感に囚われる様子が、伝わって来ます。漱石の分身で、近代的
自我の持ち主であった宗助には、最早心の雑念の全てをかなぐり捨てて、
一心不乱に道を求めることは、到底不可能だったのでしょう。
それは現代の自分に顧みても、更に納得出来ます。私には、彼以上に
不可能です。
以前、比叡山の千日回峰行を満行された行者の方の講演を、聞いたことが
あります。この行は、七年の歳月をかけて漸く達成されるそうですが、その
行者の方は、「私の満行の価値は、江戸時代以前に達成された行者には
遠く及ばない。なぜなら、その当時は人間の寿命が遥かに短く、全生涯に
占めるこの修行の歳月の意味が、今とはまるで違う。」と語っておられました。
勿論、謙遜も含まれるでしょうが、現代の世からすると霧の彼方の
江戸時代の修行者の心構えは、宗教的熱情において計り知れないものが
あったに違いありません。
漱石が生きた明治の世にあっても、彼のような先進的な近代人にとっては、
伝統の中に生き続ける宗教的信条というものには、どうしても体質的に
馴染めないところがあったのでしょう。
2016年2月21日日曜日
鷲田清一「折々のことば」313を読んで
2016年2月17日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」313に
宇宙開発にかかわって来た町工場の経営者植松努の次のことばが
取り上げられています。
教育とは死に至らない失敗を安全に経験させるためのものです
私たちが暮らす現代の日本社会では、失敗をしないということに大きな
価値が置かれているように感じます。それゆえ私たちは、常々失敗を
するということに対して、過大なプレッシャーにさらされています。
またその裏返しとして、他人の些細な過失に過剰に反応するということも、
多々見受けられます。その結果この社会はますます窮屈で、ギスギスした
ものになっているのではないでしょうか?
もちろん失敗は避けるべきです。細心の注意も必要です。でも最初から
失敗を恐れて萎縮してしまっては、諸事前向きで、創造的な仕事はなかなか
成し遂げられないように思います。
では失敗を恐れず、物事に果敢に立ち向かう気風を育むには、どのような
取り組みが必要なのでしょうか?
まず失敗を体験させ、それが前向きなものであれば決してとがめず、自力で
その失敗の原因を見極め、克服するまで温かく見守る、上記のことばは
そのように語っていると、私は感じました。
宇宙開発にかかわって来た町工場の経営者植松努の次のことばが
取り上げられています。
教育とは死に至らない失敗を安全に経験させるためのものです
私たちが暮らす現代の日本社会では、失敗をしないということに大きな
価値が置かれているように感じます。それゆえ私たちは、常々失敗を
するということに対して、過大なプレッシャーにさらされています。
またその裏返しとして、他人の些細な過失に過剰に反応するということも、
多々見受けられます。その結果この社会はますます窮屈で、ギスギスした
ものになっているのではないでしょうか?
もちろん失敗は避けるべきです。細心の注意も必要です。でも最初から
失敗を恐れて萎縮してしまっては、諸事前向きで、創造的な仕事はなかなか
成し遂げられないように思います。
では失敗を恐れず、物事に果敢に立ち向かう気風を育むには、どのような
取り組みが必要なのでしょうか?
まず失敗を体験させ、それが前向きなものであれば決してとがめず、自力で
その失敗の原因を見極め、克服するまで温かく見守る、上記のことばは
そのように語っていると、私は感じました。
2016年2月19日金曜日
漱石「門」における、夜のしじまを宜道に導かれ老師のもとへ向かう宗助
2016年2月18日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「門」105年ぶり連載
(第九十五回)に、宗助が宜道に先導されて、老師のもとへ向かった初めての
夜の道行きの様子を記する、次の文章があります。
「「危険う御座います」といって宜道は一足先へ暗い石段を下りた。宗助は
あとから続いた。町と違って夜になると足元が悪いので、宜道は提灯を点けて
僅か一丁ばかりの路を照らした。石段を下り切ると、大きな樹の枝が左右から
二人の頭に蔽い被さるように空を遮った。闇だけれども蒼い葉の色が二人の
着物の織目に染み込むほどに宗助を寒がらせた。提灯の灯にもその色が多少
映る感じがあった。その提灯は一方に大きな樹の幹を想像するせいか、甚だ
小さく見えた。光の地面に届く尺数も僅かであった。照らされた部分は明るい
灰色の断片となって暗い中にほっかり落ちた。そうして二人の影が動くに伴れて
動いた。」
目の前に光景が浮かぶような詩的で美しい描写です。映像にでもすれば、
幻想的な場面が現出されるでしょう。
しかし同時に、宗助の思いや心の揺れも、この情景には見事に描き出されて
いると推察されます。つまり、安井の影に怯えて少しでも心の平安を得たいと
禅門をくぐったにも関わらず、老師の問いに答えを見出せない自分の頼りなさ、
不甲斐なさが、暗闇の足元のおぼつかない道を宜道のかすかな提灯の光に
導かれて、ぎこちなく進む彼の姿に映し出されていると、感じられるのです。
漱石の心憎い表現法と、思わずうならされました。
(第九十五回)に、宗助が宜道に先導されて、老師のもとへ向かった初めての
夜の道行きの様子を記する、次の文章があります。
「「危険う御座います」といって宜道は一足先へ暗い石段を下りた。宗助は
あとから続いた。町と違って夜になると足元が悪いので、宜道は提灯を点けて
僅か一丁ばかりの路を照らした。石段を下り切ると、大きな樹の枝が左右から
二人の頭に蔽い被さるように空を遮った。闇だけれども蒼い葉の色が二人の
着物の織目に染み込むほどに宗助を寒がらせた。提灯の灯にもその色が多少
映る感じがあった。その提灯は一方に大きな樹の幹を想像するせいか、甚だ
小さく見えた。光の地面に届く尺数も僅かであった。照らされた部分は明るい
灰色の断片となって暗い中にほっかり落ちた。そうして二人の影が動くに伴れて
動いた。」
目の前に光景が浮かぶような詩的で美しい描写です。映像にでもすれば、
幻想的な場面が現出されるでしょう。
しかし同時に、宗助の思いや心の揺れも、この情景には見事に描き出されて
いると推察されます。つまり、安井の影に怯えて少しでも心の平安を得たいと
禅門をくぐったにも関わらず、老師の問いに答えを見出せない自分の頼りなさ、
不甲斐なさが、暗闇の足元のおぼつかない道を宜道のかすかな提灯の光に
導かれて、ぎこちなく進む彼の姿に映し出されていると、感じられるのです。
漱石の心憎い表現法と、思わずうならされました。
2016年2月17日水曜日
鷲田清一「折々のことば」312を読んで
2016年2月16日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」312に
新約聖書の使徒行伝の中から引いた、次のことばが取り上げられています。
目から鱗が落ちる
よく知られた聖書の中の言葉です。一般に目から鱗の体験というと、
すがすがしい気分にさせてくれるものもありますが、ドキッとさせられることも
あります。前者は、その体験によって新しいことを知ることが出来た喜びであり、
一方後者は、間違った知識が正された時に感じるものです。
誤った知識が正されるにしても、まったく個人的に持っていた自分の知識が
間違いであった時には、せいぜい自身が恥をかくぐらいで済みますが、もし
その見当違いの知識が私の先入観になっていて、自分がその知識に従って
ものを考えていたり、ましてや行動を起こしていたりした場合には、周囲の
人々に迷惑をかけることになります。
そのようなことにはならないように、得た知識を鵜呑みにしないことを心掛けて
いるつもりですが、日々振り返ってみると、ついつい思い込みの思考や行動に
駆られていることがあります。よく反省させられるところです。
さて生半可な知識や表面的な知識は、しばしば私たちの考えや行いを誤らせ
ますが、とは言え知識というものは、無論我々が客観的に考え、冷静に行動
するための大切な指針となります。要するに、今得た知識が正しいものかどうか
もう一度冷静に検討してから、自らの血肉とすべきなのでしょうが、何かと
気ぜわしい今日、なかなか難しいことです。
新約聖書の使徒行伝の中から引いた、次のことばが取り上げられています。
目から鱗が落ちる
よく知られた聖書の中の言葉です。一般に目から鱗の体験というと、
すがすがしい気分にさせてくれるものもありますが、ドキッとさせられることも
あります。前者は、その体験によって新しいことを知ることが出来た喜びであり、
一方後者は、間違った知識が正された時に感じるものです。
誤った知識が正されるにしても、まったく個人的に持っていた自分の知識が
間違いであった時には、せいぜい自身が恥をかくぐらいで済みますが、もし
その見当違いの知識が私の先入観になっていて、自分がその知識に従って
ものを考えていたり、ましてや行動を起こしていたりした場合には、周囲の
人々に迷惑をかけることになります。
そのようなことにはならないように、得た知識を鵜呑みにしないことを心掛けて
いるつもりですが、日々振り返ってみると、ついつい思い込みの思考や行動に
駆られていることがあります。よく反省させられるところです。
さて生半可な知識や表面的な知識は、しばしば私たちの考えや行いを誤らせ
ますが、とは言え知識というものは、無論我々が客観的に考え、冷静に行動
するための大切な指針となります。要するに、今得た知識が正しいものかどうか
もう一度冷静に検討してから、自らの血肉とすべきなのでしょうが、何かと
気ぜわしい今日、なかなか難しいことです。
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