2016年3月6日日曜日

漱石「門」を読み終えて

朝日新聞朝刊、夏目漱石「門」の105年ぶり連載は、3月3日付け(第104回)で
終わりました。

劇的な物語の展開もなく、終始ゆったりとしたペースで話が進み、主人公たちの
心に少しの波風が立って、根本的な解決には至らないまでも、とにかく一応の
落ち着きを取り戻し、元の鞘に収まった。読み終えてそんなイメージが残りました。

しかしこの小説が私の心を捉えるのは、誰の人生にも大なり小なりの物語があり、
それにつれて喜怒哀楽に心をかき乱されながら、それでもなお生き続けなければ
ならないという真実を、含蓄のある、滋味あふれる文章で描き出しているからだと、
思います。

私は「門」を読み終わった時、ついつい、先に連載された「こころ」と比較してしまい
ました。というのは、「門」の主人公宗助も「こころ」の先生も、同じく女性を巡って
友人を裏切るからで、前者が友人への罪の意識に苛まれながらも生き続ける
ことを選び、後者がついに良心の呵責に耐えきれず、自ら死を選ぶという結末が、
そっれぞれの作品のトーンを決定しているように感じるからです。

それぞれの小説が執筆された時期は前後するのですが、私は「こころ」を読んだ時、
先生の心の動きと行動は、余りにも理不尽と感じました。しかし宗助の安井を
巡る動揺には、人生はままならないものという意味で共感を覚えました。

漱石は、自分の思うようにならない人生というものの意味を突き詰めて行って、
先生の潔癖すぎる境地に至ったのか?あるいは、彼の生きた明治という時代の
帰結が、先生の自裁という結末を求めたのか?

私にはよく分かりませんが、少なくともこの二作品を読むことによって、人生という
ものに対する思いが、深まったように感じました。

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