2016年3月10日木曜日

漱石「夢十夜」第一夜を読んで

2016年3月9日から、朝日新聞朝刊で夏目漱石「夢十夜」108年ぶり連載が
スタートしました。この作品は、「こんな夢を見た。」で始まる十篇の短編から
成る小品で、のっけの第一夜より、私は作品世界に引き込まれました。

「と思うと、すらりと揺ぐ茎の頂に、心持首を傾けていた細長い一輪の蕾が、
ふっくらと瓣を開いた。真白な百合が鼻の先で骨に徹えるほど匂った。そこへ
遥の上から、ぽたりと露が落ちたので、花は自分の重みでふらふらと動いた。
自分は首を前へ出して冷たい露の滴る、白い花瓣に接吻した。」

発表当時の新聞への連載順としては、「三四郎」「それから」そして「こころ」
へと連なる、それぞれの片りんを彷彿とさせるところのある短編です。

というのは、「三四郎」の広田先生の夢に通底するロマンチックな詩情があり、
「それから」の代助と三千代の恋情の交歓をつなぐのと同じ、白い百合が
登場し、「こころ」の先生の墓参を連想させなくもない、死者の見守りが
行われるからです。

もしかしたら、夢という形で、漱石の小説創作のためのヒントの見つけ方が、
提示されているのかもしれません。

私は百年後白百合として再生する女は、美への憧憬の象徴であるに
違いないと感じました。決して容易には手にすることが出来ないもので
あっても、永遠に近い時間焦がれ、忍従をもって信じ、待ち続ける時、
再び美はその相貌を現せてくれることがある。それは創作者としての
漱石の固く信じるところではではなかったか、と私は思うのです。


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