豊臣から徳川へと政権が移る激動の慶長年間末期に、京都で王朝風の優雅な
木活字版本、いわゆる嵯峨本の制作に力を尽くした、角倉了以の子素庵、
本阿弥光悦、俵屋宗達の魂の遍歴と触れ合いを、三者の独白体の詩的な文章で
綴った書です。
若い頃の著者の「背教者ユリアヌス」に熱狂した私が、いつか読もうと買い置いて
いた本を、丁度琳派400年で光悦、宗達、の作品を多く観る機会があったことを
契機として、三十数年ぶりに本棚から取り出して読み始めたものです。
まず、これも今日ではほとんど見かけなくなった外箱から本を抜き出すと、渋い
茶色の紬様の布地で装丁され、背には美しい銀の文字で、作品名、著者名が印字
されていて、生地の販売に携わる私としては、大いに感激しました。手に持った
時の感触を大切にする本、書の内容が材質的な面にまで装丁に反映されている
丁寧な作りの本を、近頃はなかなか目にすることがないので、合理化という意味
での出版文化の移り行きを改めて思いました。
さて本書が扱う時期は、武家が激しく覇権を争う時代でしたが、同時に都では
経済の発展によって町衆が力を付け、それを背景として華やかな文化が花開く
時代でもありました。
本書の主人公の一人である光悦は、家業が刀剣の研磨、鑑定であるだけに、
武家との交流も深く、覇権の変転に強い影響を受けることになりますが、人生経験
を通して世の荒波を俯瞰する視点を獲得するに至り、それがひいては嵯峨本を制作
するための美意識、流麗な書体を完成させることになります。
宗達は平家納経経典装飾画」の修復に携わることによって、あるものをそのままに
描くのではなく、心に起こる感興を絵として表現するすべを身に付け、嵯峨本の
優美を根底から支える料紙下絵を完成させるに至ります。
素庵は父了以から継承すべき偉大な事業と自らの学問への情熱の間に、常に
引き裂かれながら、書籍への執着を形にするかのように嵯峨本刊行に取り組みます。
本書はあくまで、著者辻邦生が造形したこの美に取り付かれた三人の姿ではあります
が、折しも彼らの残した素晴らしい作品を観ていると、時代背景も踏まえて、このような
精神的なドラマが展開された可能性を十分に実感させます。
それは優れた芸術作品が観る者に雄弁に語り掛けることの証左であり、その語り
掛けるものをこのような優美な物語に形作る、著者の筆力であると言えるでしょう。
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