2016年3月13日日曜日

鷲田清一「折々のことば」336を読んで

2016年3月11日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」336に
八木重吉の詩編「秋の瞳」の中の、「雲」という短詩のことばが取り上げ
られています。

 くものある日 くもは かなしい
 くものない日 そらは さびしい

ちょうど東日本大震災の発生から5年が経ったその日の、「折々のことば」です。


私は若い時には折に触れて空を見上げて、浮かぶ雲に自らの心境を重ねたり、
天上に展開される折々の景色に情緒をかきたてられたり、したものでした。

その頃のことを思い返すと、澄み渡った青空に一片だけ浮かぶ、かわいらしく、
頼りなげな雲は、往々にしばらく見ているうちに忽然と姿を消してしまって、私は
人生のはかなさや、大自然の中での人という存在のちっぽけさを、感じさせられ
ました。

でも雲一つない、一面に晴れ渡った青空を見ていると、逆にどこかに、かすかでも
雲の痕跡はないかと、目で捜している自分に気づくことがありました。

大自然の人智を超えた、有無を言わせぬ荘厳さ、雄大さ、その中では生命という
存在は、所詮はかないものだけれども、そこに確かにあることによって、もしそれが
存在しなければ冷徹一辺倒の世界に、何らかの温もりを与えているのではないか?

このことばを読んで、そんなことを考えました。







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