2016年3月23日水曜日

漱石「夢十夜」第八夜を読んで

2016年3月18日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「夢十夜」108年ぶり連載
第八夜では、床屋を訪れた主人公が、何とも不思議な体験をします。

「自分は茫然としてこの女の顔と十円札を見詰めていた。すると耳の元で
白い男が大きな声で「洗いましょう」といった。丁度うまい折だから、椅子から
立ち上がるや否や、帳場格子の方を振り返って見た。けれども格子のうち
には女も札も何にも見えなかった。」

夢の中らしく、超現実的な光景です。まるでデ・キリコやバルテュスの
シュルレアリスム絵画を眺めているような、不思議な気分が味わえます。

考えてみると、鏡とは私たちの身近にありながら、何かの拍子に不可解な、
あるいは不気味な気配を感じさせる存在です。

鏡の像はありのままを映しているのに、覗き込んでいる我々の感覚としては、
左右逆に認識される。そこに謎めいたものが、生まれるのでしょうか?

また鏡は、その枠内に存在するものは余すことなく忠実に映し出すけれども、
その枠からちょっとでも外れたものは、全く映さない。それを見ようとすれば、
鏡を覗く人間が視点をずらして、無理に窺うように視線を向けなければ
なりません。

そしてその行為にも、自ずと限界があります。だからこの主人公のように、
床屋で椅子から身動き出来ない時に、鏡から確認出来る範囲の外で、何か
気になることが起こっていたら、さぞ気掛かりなことでしょう。

人間のふとした心の綾を描いた、面白い短編です。

0 件のコメント:

コメントを投稿