2014年9月24日水曜日

漱石「こころ」の中の、先生の普遍的なものとしての罪の意識について

2014年9月23日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「こころ」100年ぶり連載
先生の遺書(108)に、次の記述があります。

「私はただ人間の罪というものを深く感じたのです。その感じが私を
Kの墓へ毎月行かせます。その感じが私に妻の母の看護をさせます。
そうしてその感じが妻に優しくして遣れと私に命じます。私はその感じの
ために、知らない路傍の人から鞭たれたいとまで思った事もあります。」

先生が終生Kの死について、妻に対して沈黙を守ったのは、普遍化された
罪の意識の自覚によるということが、ここで明らかになります。

最初は、自尊心や羞恥心、また保身のために語らなっかのが、ついには
人間が生きていく上で避けることの出来ない、罪というものを正面から
見据え、自らを罰するためにあえて語らないという心境に至った
のでしょう。

もしそうならば、先生がKの秘密を守り通した理由も、私なりに少しは
理解することが出来るような気がします。

先生は自分一人が罪を引き受けることが、Kの心を慰謝し、妻の母と
妻の心の平安を守ることになると考えたのでしょう。

ここに、先生の自己犠牲を伴う優しさが見えて来ます。

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