2019年10月5日土曜日

後藤正治著「拗ね者たらん 本田靖春人と作品」を読んで

本田靖春の作品では、かつて『誘拐』を読んで、被害者家族、犯人、警察捜査陣と、
全てに目を行き届かせて事件の全容を明らかにし、しかも事件のショッキングな性格
にも関わらず、曇りない公平な目で、そこに至る社会的背景までもを解き明かす、鮮
やかな筆さばきに、感銘を受けたものでした。

また筆者の後藤作品では、『天人』で感じた、優れた新聞人への愛情の籠る敬意と
同質のものを、本作でも嗅ぎ取ることが出来る気がして、迷わず本書を手に取りま
した。

本書を読んで、フリーのノンフィクション作家となり、数々の名作を物しながらも、本田
靖春の執筆者としての立脚点が、新聞の社会部記者にあったことが分かります。更に
は、彼の生き方の原点は、旧朝鮮、京城からの引き揚げ体験にあり、戦後の窮状と
混乱の中で、大陸からの幼い帰還者として、彼が受けなければならなかった言われな
い差別が、常に社会的弱者に寄り添う姿勢を形作ります。その上如何なる権力にも
おもねらず屈しない執筆態度を生み出します。そしてそれらの視点こそが、彼の作品
に厳正さと奥行き、読後の余韻を、賦与しているのです。

また彼が『天人』の深代惇郎と同様、海外特派員を経験したことも、忘れてはならない
でしょう。その後の作品の対象を見る目には、国際的な視座も織り込まれているので
す。

本書で、本田の各作品の成立の経緯を巡る、関係者の述懐を読んでいて気付かされ
るのは、彼が恩義のある先輩記者や編集者には礼を尽くし、若手出版人には、温かく
厳しい態度で接した姿が見えて来ます。そこには、真摯に報道と出版に携わる者への
敬意と、その未来を担う者への心からの激励が読み取れます。彼のこのような側面は、
筆者後藤とも感応する部分であり、それゆえに後藤は本田を描きたくなったのでしょう。

本田の絶筆となった『我、拗ね者として生涯を閉ず』は、正にその表題が彼の生き方を
端的に現わしているのであり、活字離れが叫ばれている現在にあって、新聞記者は
如何なる報道姿勢で取材し、記事に向き合わなければならないか、ノンフィクションライ
ターは表現者として、如何なる誠実さと良心を持って作品を執筆しなければならないか
を、身をもって具現した人物が、本書から立ち上がって来ると、感じました。

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