2019年10月22日火曜日

鷲田清一「折々のことば」1614を読んで

2019年10月19日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1614では
詩人最果タヒの随想集『きみの言い訳は最高の芸術』から、次のことばが取り上げ
られています。

  うまく話せないときほど、言葉の近くにいる
  感じがする。

そういえば私自身の話す様子を振り返ってみても、すらすらと話せた時に得てして、
自分の真意が本当に伝えられたのか自身が持てなかったり、もどかしく感じること
があります。

また逆に、相手が立て板に水のごとくスラスラと話すと、その説明が信用できない
ように感じたり、かえって内容がこちらの頭に入って来ないこともあります。それに
比べてむしろ、とつとつとした拙い話し方や、こちらが助け舟を出したくなるような
もどかしい説明が、説得力があるように感じられたりします。

つまり、文章に書くならいざ知らず、相手の目の前で、その場の状況や相手の反応
に合わせ、こちらの思いを伝えようと言葉を紡ぐ会話の場合、むしろスラスラと話せ
ないのが当たり前で、そのような場面でよどみなく出て来る言葉は、ある意味独善性
を疑わせたり、薄っぺらく感じられるのではないか?

勿論、話者がその言葉を発している時の表情や挙動、語り方が、話の内容に対する
相手の受け取り方に大きく作用することは言うまでもありませんが、それでも私は
少なくとも、程度の差はあれ、うまく話せないけれども懸命に伝えようとする人に、
ある種の誠実さを感じます。

仕事上では無論、話術を磨くことの大切さも感じますが、想いを伝えることの根本に
あるべき誠実さは、失わないようにしなければと、常々思っています。

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