2019年8月17日土曜日

森見登美彦著「熱帯」を読んで

誰も最後まで読み通した者のいない、謎の書物『熱帯』を巡る冒険譚です。

主題が謎に包まれた複雑怪奇なものだけあって、物語の筋も入り組んだ入れ子状に
なっていて、簡単に要約することが出来ませんが、大まかに分けると、前半が登場
人物たちが『熱帯』の謎に挑むミステリー、後半が『熱帯』の中に入り込んで冒険に
巻き込まれるファンタジーと言えます。

私は著者が最も実力を発揮すると思われる前半のミステリーの部分が好きで、元々
接点のない人物たちが、一つの謎に引き寄せられるように複雑に絡み合い、小出し
にされるヒントを巡って牽制、駆け引きを繰り返し、それでいて益々謎が深まる展開が、
わくわくさせられて楽しかったです。

そのミステリアスなストーリーを進める上での、小物や情景などの設定も魅力的で、
『千一夜物語』の書籍に始まり、「沈黙読書会」、「学団」、「池内氏のノート」、「飴色
のカードボックス」、古本屋台「暴夜書房」、「部屋の中の部屋」、「満月の魔女」の
絵画と、響きに謎を含んだ言葉が次々に飛び出して来ます。

また著者が京都に縁が深いだけあって、私自身が良く知っている場所が、私の記憶や
実感とは違う陰翳をもって描き出されていて、その点にもたとえようのない魅力を感じ
ました。

後半部分は一転、『熱帯』の中に放り込まれた前半の登場人物の冒険物語になります
が、僕と語る一人称の主人公は、夢ともうつつともつかぬ話の展開に連れて、人物
設定が入り乱れ、最早本来の誰であったか特定出来なくなります。

そのような流れの中で、創造神話を彷彿とさせる雄大なスケールの物語は空しく空転
し、拡散して行きます。あたかも『熱帯』そのものが果てしのない、決して集約されない
物語であるのに似て。

このように本書は、一口には要約出来ない不思議な物語ですが、著者が『千一夜物語
』から着想を得たと語ることから、語り手が自らの死を賭して、毎夜語り続けた物語と
いうその由来が示すように、物語を創造する力を一種の魔法と捉え、読者がその物語
の世界に入り込むことを魔法にかけられると解釈して、本というものの謎めいた楽しさ、
読書の喜びを、一つの物語に集約しようとしたのではないかと、私には感じられました。

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