2019年8月13日火曜日

京都国立近代美術館「ドレス・コード?〔着る人たちのゲーム〕」を観て

京都国立近代美術館が京都服飾文化研究財団とコラボレーションして、美術という
視点からファッションを取り上げる、企画展の一つです。今展では、ドレス・コードと
いう切り口から、ファッションの歴史、現代のアクティブな状況までを、展観しています。

私自身、自分の服装には無頓着で、ドレス・コードといっても、たまにホテルでの食事
の時に気にするぐらいで、あまり実感が湧きませんでしたが、本展はドレス・コードを
服装における規範や帰属意識、自己主張といったもっと広い範疇で捉えて、そもそも
ファッションとは何か、ということを観る者に問いかけて来ます。

上記のように盛沢山の展観で、全てを伝えることは出来ませんが、私の印象に残った
ところを拾って行くと、まず最初は、西洋の歴史マンガのイラストの前に並べられた、
18世紀貴族が着用したと思われる男女の豪華な衣装の展示。この頃の王侯貴族は、
自らの地位を大衆にアピールするために、このような華美な衣装を身に付ける必要
があったと、解説されます。つまり、これらの衣装は、貴族であるためのドレス・コード
であった、ということです。

次は一転、学ラン、セーラー服等中高生の制服です。学生服は着用する人間の社会
的位置付けを明らかにすると同時に、それを着崩したり、好みの加工を施すことに
よって、個性を主張することにもつながります。ドレス・コードという画一性に、抵抗を
試みるともいえるのでしょう。

その他、トレンチコート、迷彩柄といった、本来軍服として開発された服装、デザイン
や、労働着として広まったジーンズなど、実用服がファッションに取り入れられる様子
も興味深かったですし、美術品の図柄を取り込んで、服飾に高級感を生み出そうと
する試みには、ファッションの包容力とバイタリティーを感じました。

もう一つ強く印象に残ったのは、#MeToo運動で映画界のセクハラを訴えた女優たち
が、その時には普段の見られる立場を拒否して、全員黒い衣装に身を包んで、自分
たちの意志を表明したという事実で、ファッションがまだ意見を主張するための武器に
なり得る、ということを知ったことです。

ファッションから社会が見えるということ、その多様さ、幅広さを改めて知らされた、
展覧会でした。

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