2015年10月21日水曜日

鷲田清一「折々のことば」198を読んで

2015年10月21日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」198に
ヴィクトール・E・フランクルの次のことばが取り上げられています。

 すなわち最もよき人々は帰ってこなかった

精神科医フランクルが、ナチスの強制収容所で過ごした日々を、思索的に
綴った名著「夜と霧」(霜山徳爾訳)より引いた言葉です。

私も若き日にこの本を読んで、極限の体験の中でもなお、冷静かつ
理知的な思考法を持って、生きる希望を失わない著者の姿に随分と
励まされ、勇気を与えられたものでした。

さて、前述のことばから私が思い浮かべたのは、生きるか死ぬかの
切羽詰まった状況の中で、人はどうしようもなく、本性をあらわにする
ものであり、また心の中の利己心が頭をもたげるものである、という
ことです。

さらには、強制収容所が看守が囚人を奴隷化し、死を決定するという
ような、人が人を絶対的に支配する場所であるならば、囚人の中に
支配者にすり寄る者が生まれ、より弱い立場の同僚を容赦なく犠牲にする
者が生まれるということでしょう。

人間とはかくも悲しき者。フランクルはそのような現実を冷静に見つめながら、
命を絶たれた人々の尊厳にも思いをいたすことを忘れません。人間という
存在そのものに寄り添う姿勢に、改めて敬意を抱きました。

他方、シベリア抑留から帰還した石原吉郎の「最もよき私自身も帰っては
こなかった」の言葉は、さらに自分自身の心の罪をも見つめて、粛然とさせ
られます。

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