2014年7月21日月曜日

京都市美術館「バルテュス展」を観て

「20世紀最後の巨匠」と呼ばれたバルテュスの、没後初の回顧展
です。

私がバルテュスの作品を観るのは、30年前にやはり、この美術館で
開催された、大規模な彼の展覧会以来で、当時その独特の
作品世界にすっかり魅了されましたが、それが何に発するものか
判然としませんでした。それで今回は、その秘密をさぐってみたい
という思いもありました。

そのような目的意識をもって出品作を順に追っていくと、まず彼は、
様々な絵画の表現方法が模索された20世紀前半のパリにあって、
どうして一見オーソドックスに見える具象という表現方法を選択した
のか、という問いに行きつきます。

つまり自ら描きたいものを、もっとも上手く表現出来る方法を
探究したに違いない周到なこの画家が、この表現方法を確立した
ということは、その絵画は従来の意味での具象ではない、という
ことです。

バルテュスの具象が、どのようなものを目指したものであるかという
ことについては、彼が一時、シュールレアリスムの画家グループに
近付いたという事実が、ヒントを提供します。

彼の具象絵画は、目に見えない情緒や雰囲気までを描き出すことを
指向し、それでいて、現実とは完全に離れてしまう絵空事に
なることは、回避しようとしたのではないでしょうか。

その物事の”あわい”を描き出そうとする態度は、彼の絵画の主題にも
見受けられます。

バルテュスの描く少女は、子供から大人になる”あわい”の、中空に
浮かび上がったかのような、不安定ではかない魅力の一瞬を捕えます。

彼の好むネコは、人間界を皮肉を込めて斜めから見て超然としている
ような、それでいて妙に人間臭くもあります。

もちろんバルテュスの作品には、ヨーロッパの長い絵画の伝統を踏襲した
重厚なたたずまいが、基調低音として存在することを忘れてはなりません。

しかしその魅力の核心は、私たちが日常感じ取ることが出来ない、現実の
”あわい”に宿る美を描き出したことにあると、私には推測されます。

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