2014年4月25日金曜日

私たちの現代社会をおおう緩慢な死について

父を看取り、老齢の母と暮らし、また周りの高齢の方のお話を聞いて
いると、最近、高齢化と死について考える機会が増えました。

高齢者からよく、「ここまで、生きるとは思わなかった。」という言葉を
聞きます。

今の高齢の方は、幼少時には結核に代表される死の病、あるいは
戦争による死というように、若年でも死というものが身近にあり、
生きるということに対して、現在壮年以下の私たちとは、違う価値観を
有しておられるように思います。

ところが、自分の思い描いていた人生計画以上に長生きしてしまって、
体の次第に衰えていく老後をどのように過ごそうか、戸惑っておられる
ように感じられるのです。

翻って私たちも、高齢者の困惑を目の当たりにして、近い将来、自分が
当事者とならざるを得ない、答えのない高齢化問題に不安を抱いて
います。

かつては、”メメントモリ”という言葉に代表されるように、死に対する
不安が第一の人生の苦だったでしょう。でも今日では、生き続ける
不安というものも、人生の切実な問題なのではないでしょうか。

では、この不安をどのように和らげたらいいのか?社会保障の問題、
個々の人生への処し方、心の持ち方等、様々な対策、対処法は
あるのでしょうが、根本的な解決方法は到底、思い浮かびません。

きっと、一生かかって考え続けるのでしょう。

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