2016年1月8日金曜日

漱石「門」の中の、大学生の宗助が訪れた京都近郊の描写

2016年1月5日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「門」105年ぶり連載
(第六十六回)に、おそらく京都帝大の学生であった宗助が、休日を
利用して学友の安井と訪れた京都近郊の情景を記する、次の文章が
あります。

「ある時は大悲閣へ登って、即非の額の下に仰向きながら、谷底の流を
下る魯の音を聞いた。その音が鴈の鳴声によく似ているのを二人とも
面白がった。ある時は、平八茶屋まで出掛けて行って、そこに一日寐て
いた。そうして不味い河魚の串に刺したのを、かみさんに焼かして酒を
呑んだ。そのかみさんは、手拭を被って、紺の立付見たようなものを
穿いていた。」

今から百年以上も前の話ですが、京都に暮らす者としては、それとなく
イメージが浮かんで来ます。「谷底の流を下る魯の音」は、きっと
保津川下りの舟を漕ぐ魯の音です。当時から今に続く手漕ぎの観光船が
航行し、新緑、紅葉と観光客で大変にぎわっています。

「平八茶屋」は、今も当時の場所に存在して、店の前の若狭街道は舗装
されて沢山の自動車が行き交っていますが、古い門を入ると、中は時が
止まったようなひなびた佇まいが保たれ、高野川の川の流れの音を聞き
ながら食事を楽しむことが出来ます。こちらの鮎料理は、私は美味しく
感じますが、海の近くの東京育ちの漱石の口には、合わなかったのかも
知れません。「かみさん」の服装は、大原女みたいなものだったので
しょうか?

こんなことを考えていると、この物語に百年分の遠近感が出て来たように
思われて来ました。

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