2016年1月18日月曜日

鷲田清一「折々のことば」280を読んで

2016年1月14日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」280に
評論家吉田秀和の「私の時間」から、次のことばが引かれています。

 くりかえし製作すべきでもなければ、同じ人間がやたらくりかえして見る
 べきではない「記録」というものもあるのである。

私がこのことばから思い浮かべたのは、テレビなどで同じ映像を繰り返し
見せられるのはある意味恐ろしい、ということです。

というのは、サブリミナル効果とでも言いましょうか、繰り返し見せられる
映像は、人の心にある感情や思いを強制的に刷り込むことがあると、
感じるからです。

例えば、ある事件の被疑者の憎々し気な言動が、繰り返しテレビで
流されることによって、私たち視聴者は知らず知らずのうちに、その人物が
犯人に違いないと、決めつけかねないような気分に陥ることがあります。
そのような報道は場合によっては、世論を間違った方向に誘導してしまう
こともあり得ます。

またテレビ画像を繰り返し見せられことによって、食傷してしまうことも
あります。

この場合は例えば、オリンピックなどの競技会で日本人選手が金メダルを
獲得した瞬間を、余りにも繰り返し放送するので、かえって感激の余韻が
薄れてしまって、うんざりするというようなことです。

私たちはこのような過剰を克服する対策として、とりあえずは繰り返される
映像を心の目を閉ざしてやり過ごすことも、必要なのではないでしょうか?

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