2016年1月22日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「門」105年ぶり連載
(第七十八回)に、宗助が大家の坂井に対してどんな感情を抱いているかを
記する、次の文章があります。
「宗助はこの楽天家の前では、よく自分の過去を忘れる事があった。そうして
時によると、自分がもし順当に発展して来たら、こんな人物になりはしなかった
ろうかと考えた。」
宗助と坂井はまったく現在の境遇や気性が違うのに、どうして気が合うのだろう
と、これまでこの小説を読みながら薄々疑問に思って来ました。でもこの文章で、
少し分かった気がしました。
宗助には坂井の嫌みのない楽天家ぶりが、心地よいのでしょう。そしてもしも
自分がこれまでの人生で過ちを犯さなければ、坂井のような人間になっていた
かもしれないと感じるのは、彼の気性に自分の本来の性格に通じる親近感を
抱いているのに、違いありません。
でもここで、宗助が坂井に親しみを感じる前提として、彼が坂井との生活水準の
格差を決して妬ましく思っていないこと、また自分のしでかした過ちを、少なくとも
御米に対しては後悔していないこと、が挙げられると私は推察します。
それが宗助の性格の美質であり、それゆえ彼は坂井と話していて、心が落ち着く
のだと、今は感じられます。
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