2016年1月27日水曜日

漱石「門」における、坂井が宗助に語る自身の弟の消息

2016年1月26日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「門」105年ぶり連載
(第八十回)に、坂井が自分の弟の人となりと消息について語る、次の
記述があります。

「主人は卒然「冒険者」と、頭も尾もない一句を投げるように吐いた。

 「それから後私もどうしたか能く知らなかったんですが、その後漸く聞いて
見ると、驚ろきましたね。蒙古へ這入って漂浪いているんです。どこまで
山気があるんだか分らないんで、私も少々剣呑になってるんですよ。・・・」」

一攫千金を狙う坂井の弟は、満州へ渡り、事業に失敗して、蒙古へと流れて
行ったようです。しかしこの当時の人々にとって、満州や蒙古とはどんな
イメージのところだったのでしょう。

現代の私たちも、テレビで中国東北部やモンゴルの雄大な景観の映像を観て、
身近な世界とは異質の遥かな大地の広がりに、思わずため息をつきそうに
なります。しかしこの頃は無論今日のようなビジュアルの情報もなく、人々は
訪れた人からの伝聞や、写真でしか、想像を巡らすすべもなかったでしょう。

明治維新後、日本は急激に近代化を進め、日清戦争、日露戦争、朝鮮併合と
大陸での地歩を固めて行きます。国内の庶民にとっても、その地は我が国が
影響を強めて行く、将来性のある土地というイメージはあったと、推測されます。

しかし海のものとも山のものとも分からない土地。訳ありの人間が夢を追い
かける地、さしずめそんなイメージではないでしょうか?

少なくとも、東京の崖下のじめじめした土地に、隠れるように慎ましく暮らす
宗助たちにとって、自分たちの生活とは対極をなすような、見知らぬ異国の土地
でしょう。

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