2016年1月13日水曜日

鷲田清一「折々のことば」273を読んで

2016年1月7日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」273に
谷崎潤一郎の短編「刺青」から引いた、次のことばが取り上げられています。

 それはまだ人々が「愚」と伝う貴い徳を持って居て、世の中が今のように
 激しく軋み合わない時分であった。

すべて計算高く、個人の利を追い求める社会、あるいは無駄なく、合理的で
あることに高い価値を置く現代の私たちの暮らす社会にあっては、損をする
ということや、役に立たないことは、忌み嫌われます。

しかし物事には損をして得を取るということが、往々にしてあるものです。
そのようなことは、概して表面的には見えなくて、また性急には答えが
出なくて、後から考えると結果としてそうであったという場合が多いと感じ
られます。つまり表層的な合理性の追求だけが、社会をより良くして行く
のではないでしょう。

同様に、共同体における人と人の関わり、個人の生き方についても、
現代社会においては、無駄のない社会関係、羽目を外さない人生を過ごす
ことを、暗黙の裡に世間が強く求めるプレッシャーが、確かに存在するように
感じられます。

しかしそのような社会はぎすぎすして息苦しく、人の感情の突然の暴発と
いうことも起こりやすいように思われます。それは決して健全な状態では
ないでしょう。

たまにはバカも許される、ある程度の失敗や回り道も温かい目で見守られる、
一人一人が心に少しづつ余裕を持つことによって、そんな社会を育むことは
出来ないものでしょうか?



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