2015年6月8日月曜日

漱石「それから」における、父の説法に対する代助の反発

2015年6月5日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「それから」106年ぶり連載
(第四十七回)に、父から呼ばれた代助が父と自分の道義心に対する解釈の
違いを考えるに当たり、その背景となる当時の時代の社会状況について
考察する、次の記述があります。

 「代助は人類の一人として、互を腹の中で侮辱する事なしには、互に接触を
敢てし得ぬ、現代の社会を、二十世紀の堕落と呼んでいた。そうして、これを、
近来急に膨張した生活慾の高圧力が道義慾の崩壊を促がしたものと解釈
していた。またこれをこれら新旧両慾の衝突と見做していた。最後に、この
生活慾の目醒しい発展を、欧洲から押し寄せた海嘯と心得ていた。
 この二つの因数は、どこかで平衡を得なければならない。けれども、貧弱な
日本が、欧洲の最強国と、財力において肩を較べる日の来るまでは、この
平衡は日本において得られないものと代助は信じていた。」

明治維新というものは、日本人に色々な面で著しい価値の転換をもたらした
のでしょう。儒教や仏教的なものの考え方の中に、欧米の近代資本主義的な
価値観が一気に流入して来たことも、日本人を大いに戸惑わせたに違い
ありません。

あれから幾年月が経過し、一応の経済発展を遂げた私たちの現代社会に
おいても、我々はそれが当たり前と感じながら、実は伝統的なものの考え方と
西洋合理主義的な価値観の間で、引き裂かれているように感じることが
有ります。

私自身道義と物質欲という観点においては、今さら消費に対する後ろめたさを
感じてしまうことも有ります。しかし昔ながらの道徳心で、現代社会を生きては
いけないのもまた現実です。そこに折り合いをつけることは、今なお課題で
あり続けているのでしょう。

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