2015年6月1日月曜日

後藤正治著「天人 深代惇郎と新聞の時代」を読んで

私はこの30年来朝日新聞の愛読者で、この新聞を選んだ理由の一つには
「天声人語」が掲載されていることがあります。

本書の主人公である深代惇郎は、約40年前のごく短い期間「天声人語」を
執筆しただけなので、私は残念ながら彼のコラムを新聞紙上で読んだことが
ありません。しかし私自身この名物コラムを読み続けて来ても、筆者にまでは
思いが至らない中にあって、わずか2年半の担当でこのコラムの名声を
高めた人物が、いかなる人であったのか強く関心を引かれ、この本を手に
しました。

まず「天声人語」が朝日新聞の看板コラムであるという性格上、著者は少なく
とも文章表現において、この新聞のイメージを体現する人物でなければ
ならないでしょう。本書を読み進めるうちに、深代惇郎が新聞文化華やか
なりし頃の朝日を、人間的にも表現者としても、一身にまとうような人物で
あったことが次第に明らかになって来ます。

海軍兵学校を経て、戦後東京大学法学部政治学科入学。朝日新聞社
入社後はロンドン、ニューヨーク特派員、本社社会部次長、論説委員(教育
問題担当)、ヨーロッパ総局長、再び論説委員となって「天声人語」を執筆。
46歳で急性骨髄性白血病で急き立てられるように生涯を閉じます。

新人の頃の警察回りは性に合いませんでしたが、持ち前の明晰さ、
人当たりの良さで上司、同僚に愛され、同業他社の同輩にも人脈を広げ、
面倒見の良さで後輩にも慕われ、海外経験を積んで文名を上げ、満を持して
「天声人語」の担当者になる。まるで絵に描いたような経歴です。

本書の文中に要所要所に挿入される彼の「天声人語」は、新聞人としての
矜持を保ちつつ、反骨心、当意即妙さ、ウイット、人間的温かさをバランス良く
配し、何より独特の詩情を醸す。本書中のコラムで見る限り、深代「天人」の
魅力は著者の卓越した見識と共に、知と情の絶妙の配合に因ると感じられ
ました。

ただ本書を読み終えて何か物足りなく感じたのは、多数の深代の関係者が
彼にまつわるエピソードを語り、本文中に配された彼の残した文章を読み
重ねてみても、一向に生身の人間としての彼の肉声が伝わってこないため
でしょう。著者後藤正治はあえて深代の内面には踏み込まず、外堀を埋める
ようにして、伝説のコラムニストと新聞の時代を浮かび上がらせようと
したのか?あるいは新聞記者というものは職業柄、内面を韜晦すべきもの
なのか?判断は付きかねますが、力作ゆえに私にはその点が少し残念でした。

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