2015年6月5日金曜日

漱石「それから」における、梅子の情けについて

2015年6月1日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「それから」106年ぶり連載
(第四十三回)に、一度は平岡のための借金をきっぱりと断った兄嫁の
梅子から改めて手紙を受け取って、代助が感じた事を記する次の文章が
あります。

 「手紙の中に巻き込めて、二百円の小切手が這入っていた。代助は、
しばらく、それを眺めているうちに、梅子に済まないような気がして来た。
この間の晩、帰りがけに、向から、じゃ御金は要らないのと聞いた。貸して
くれと切り込んで頼んだ時は、ああ手痛く跳ね付けて置きながら、いざ断念
して帰る段になると、かえって断った方から、掛念がって駄目を押して出た。
代助はそこに女性の美しさと弱さとを見た。そうしてその弱さに付け入る
勇気を失った。この美しい弱点を弄ぶに堪えなかったからである。ええ
要りません、どうかなるでしょうといって分れた。それを梅子は冷かな挨拶と
思ったに違ない。その冷かな言葉が、梅子の平生の思い切った動作の裏に、
どこにか引っ掛っていて、とうとうこの手紙になったのだろうと代助は判断
した。」

このような女性の細やかな感情は、現代社会では顧みられないかも知れ
ません。逆に女性の社会進出が目ざましい今日、ビジネスの現場では
かえって、優柔不断とも受け取られかねません。

しかし勿論程度の問題ではあるのですが、女性の余韻を残すような深い
情けや、男の後くされのないさっぱりとした気風などは、社会生活や
人間関係に何とはなしの潤いを与えていたようにも思われます。

最近世の中が妙にカサカサして無味乾燥に感じられるのは、そのような
ものが失われたことにもよるのではないかと、この文章を読んで改めて
考えさせられました。

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