2015年1月21日水曜日

リチャード・リンクレイター監督「6才のボクが大人になるまで」を観て

6才の少年が18才になり巣立つまでを、実際に12年の歳月をかけて
撮り上げた映画というふれこみに心ひかれて、映画館へと向かい
ました。

従来の映画は撮影期間の制約もあって、例えば少年の成長物語
ならば、一人の俳優が主人公の各年代を演じるか、あるいはそれが
不自然な場合には、幼少時と成長後で役者を代えて演じられるのが
普通です。

しかしこれは、考えてみれば、映画の中で物語の虚構に、年月経過を
表現するための俳優の肉体上の虚構を重ねることになり、たとえ
それが巧妙に演じられていても、観客にとっては往々に、作品の
リアリティーが損なわれると感じる要因になってはいないでしょうか?

それゆえでしょう、この映画で試みられた各役柄の俳優を一年に一度
集め、実際の時間の経過に並行して撮影を進めるという制作方法は、
主人公の成長をリアリティーを持ってごく自然に表現するだけではなく、
人間の生きる時間というものの掛け替えのなさを、描き出すことに
成功していると感じました。

映画の中でまず印象に残るのは、主人公の母親に愛想をつかされる
夢想家の父親の存在で、彼は最初定職に就かない遊び人、父としての
役割を放棄しているように感じさせますが、離婚後は定期的に
面会する子供たちの良き遊び相手、相談相手になります。

対照的なのは、母の二度目の結婚相手である大学教授で、
アルコールに溺れ、高圧的に子供らを支配しようとします。時が人を
変えること、また外面で人を評価することが出来ないことを示している
ように思われます。

また一人で子育てをしながら大学に通い、大学教員になった母親は、
自己実現を子供の養育に優先し、子供に対して冷淡な母と思わせる
ところもありますが、主人公が18才で独立する時の母の号泣は、
子育ての歳月の中での彼女の心の葛藤を、表しているように感じられ
ました。

そして子供にとっては波乱の年月を心に蓄えた主人公は、希望に満ちた
新たな人生を歩み始めます。この映画は静かな人間賛歌でもあります。




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