2015年1月11日日曜日

若桑みどり著「クアトロ・ラガッツィ上ー天正少年使節と世界帝国」を読んで

戦国時代末期、キリスト教を信仰する四人の少年(クアトロ・ラガッツィ)
使節が、遠くキリスト教の本場ヨーロッパを訪ねたという史実は、
江戸時代以降の世界に閉ざされた日本を、通史においてまずイメージ
する私たちにとって、新鮮な驚きです。

そのような感興から本書を手に取りましたが、読み進めるうちに、従来
学校教育の影響もあって、日本史、世界史をそれぞれ別個の時の流れ
として把握していたものが、両者が現在と比べればはなはだ頼りない
絆ではあっても、有機的に結び付いていた当たり前の事実に、今更
ながら驚かされます。

我が国における戦国時代は、ヨーロッパにおいても、ルネッサンスの
光芒のかたわらに宗教改革が起こり、新興国家ポルトガル、スペインが
その反動としてカトリックの世界流布、また広い交易の場を求めて勇躍
海外進出を試みる大航海時代の到来と、波瀾万丈の時代だったのです。

私たちは、ポルトガル、スペインの海外進出というと、すぐに中南米に
おける容赦ない侵略を思い浮かべますが、当時日本を訪れた宣教師
には、現地人への敬意と誠実な布教の意志があったように見受け
られます。

これは、ヨーロッパ側から見た地理的条件や相手国の環境の相違、
あるいは本国の軍事戦略上の位置づけの差異、などが複雑に
絡み合った結果の落差でしょうが、やはり最も重要なことは、訪れた
宣教師の資質に尽きるのではないかと、文章を追いながら感じました。

それゆえに、当時のキリスト教の布教活動は、私が想像していた以上に
開明的で献身的です。それを受け入れる側も、為政者へと上り詰めよう
とする信長は、その鋭い実利的な嗅覚から、キリスト教を自らの覇権
拡大に利用しようとしましたが、宣教師の布教の最初の拠点であった
九州では、貧しい民は彼らの慈愛に満ちた救済活動に本当の信仰を
得て、キリスト教禁教後も隠れキリシタンとなって、信仰を頑なに守る
人びとが多く存在し、天正少年使節をヨーロッパに送ることになる
キリシタン三大名も、信仰に入るきっかけは違えど、終生堅く信仰を
守ったと言われます。

さて上巻は、そのような背景を持つ少年使節の一行が、いよいよ
ヨーロッパに上陸し、カトリックの本山バチカンに向かうところで
終わります。

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