2015年1月18日日曜日

漱石「三四郎」における、広田先生の偽善家と露悪家説について

2015年1月14日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「三四郎」106年ぶり連載
(第71回)に、三四郎の、自分は母のいうことを聞いて早く結婚すべきか
という質問に対して、広田先生が答える次の言葉があります。

「御母さんのいう事はなるべく聞いて上げるがよい。・・・・われわれの
書生をしている頃には、する事為す事一として他を離れた事はなかった。
凡てが、君とか、親とか、国とか、社会とか、みんな他本位であった。
それを一口にいうと教育を受けるものが悉く偽善家であった。その偽善が
社会の変化で、とうとう張り通せなくなった結果、漸漸自己本位を
思想行為の上に輸入すると、今度は我意識が非常に発展し過ぎて
しまった。昔の偽善家に対して、今は露悪家ばかりの状態にある。・・・・」

現代の私たちの社会では、ますます身につまされる現象です。その当時
でも、小説の中でこのような問題が語られたということは、自己本位は
明治時代から徐々に我々の心に浸透して行ったのかもしれません。

しかし漱石はこの小説の中でも、本音で人に対するという意味で、
露悪家も必ずしも悪いものではないというように語っています。
また建前を優先する偽善的なものが、嘗て、人びとに一つの価値を
強要する、息苦しい社会環境を生じさせたのかもしれません。

戦後、民主主義教育と共に、自分の意志をはっきりと表明することが
奨励されるようになったようですが、それにつれて我々は、自己本位の
度を強めて来たようにも感じられます。

要は、建前ではない公共意識、倫理観を養うことが必要なのではないで
しょうか?

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