2014年8月8日金曜日

漱石「こころ」の中の、精神主義と物質主義

2014年8月7日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「こころ」100年ぶり連載、
先生の遺書(77)の中に、先生がKを評する次の文章があります。

「仏教の教義で養われた彼は、衣食住についてとかくの贅沢をいうのを
あたかも不道徳のように考えていました。なまじい昔の高僧だとか
聖徒だとかの伝を読んだ彼には、ややともすると精神と肉体とを
切り離したがる癖がありました。肉を鞭撻すれば霊の光輝が増すように
感ずる場合さえあったのかも知れません。」

精神主義も行き過ぎると偏狭なものになります。我が国の歴史上の
事象を振り返ると、第二次大戦の戦前、戦中には、このような考え方が
抑圧的に働き、人びとを一つの絶対的な価値観へと、集約して行った
ように感じられます。

これは明治維新後、西洋の圧倒的な産業資本、軍事力に対して、
個人の生活の質を犠牲にしても、富国強兵をスローガンに追いつき
追い越すことを目指すという、為政者の方針の延長線上の出来事とも
思われます。

大戦後は物質的窮乏の反動として経済的な豊かさが求められ、私たちは
アメリカの繁栄を手本に、高度な資本主義社会を築き上げました。

その結果今日では、ともすると物質的な価値観が何にも増して幅を
利かせ、人びとの疎外感を増幅しているように感じられます。

精神主義と物質主義、私たちの心に中で、ほど良い調和は実現しないの
でしょうか?

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