2014年8月27日水曜日

漱石「こころ」の中の、先生の恋愛観

8月25日(月)付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「こころ」100年ぶり連載
先生の遺書(88)に、先生が自身の恋愛観について語る、以下の
記述があります。

「こういう嫉妬は愛の半面じゃないでしょうか。私は結婚してから、
この感情がだんだん薄らいで行くのを自覚しました。その代わり
愛情の方も決して元のように猛烈ではないのです。」

「こっちでいくら思っても、向こうが内心他の人に愛の眼を注いで
いるならば、私はそんな女と一所になるのは厭なのです。
世の中では否応なしに自分の好いた女を嫁に貰って嬉しがって
いる人もありますが、それは私たちよりよっぽど世間ずれのした
男か、さもなければ愛の心理がよく呑み込めない鈍物のする事と、
当時の私は考えていたのです。」

先生は一見、相手の立場を尊重しているように見えます。しかし
よく考えてみると、以上の文章は先生の強烈な自己愛を示して
いるのではないでしょうか。

先生は自らが相手を愛すると同等に、自分を愛してくれる女としか
結婚したくないと語ります。

私たちの今生きる現代の感覚からすると、それは自然なことに
思われます。しかし、先生の生きた明治という時代の慣習に
照らしてみるとどうでしょうか?

一般的に女性が男性に従属するという習わしの当時にあって、
女性からの先だった意思表示を求めるということは、先生の
傲慢と私には感じられるのです。

しかし反面、明治を生きた漱石がこの小説を書いたと思い至ると、
このような恋愛観を持ちえた人が当時いったい、どれだけ存在
したのかと、はなはだ心もとなくなります。

先生の悩みは、一人未来を生きる悩みだったのかも知れません。

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