梯久美子の評伝「原民喜」を読んで俄然彼の小説を読みたくなった私は、必然的に
代表作「夏の花」を開きました。
自らの広島での原子爆弾による被爆体験を巡る小説集で、表題作『夏の花』は正に、
被爆時の状況を赤裸々に語っています。
しかし、この小説には無論、実際に体験した者にしか語り得ない、この爆弾の想像を
絶する破壊力、被害の甚大さ、それに伴う目を背けたくなる悲惨さ、絶望感が余す
ところなく綴られていますが、その筆致はこのような凄惨な情景を描写しているとは
到底思えない、感傷を極力排し、事実を正確に記そうとする、淡々として一種透徹
した趣きがあります。
実際に著者と深い親交のあった人物である佐々木基一の本書の解説によると、原爆
に被災した時原は、「凄惨な光景と無数の人々の苦痛と嘆きの声を書き残す義務」
を自らに課したといいます。
そのような決意で記されたこの小説は、必然的にこのような相貌を呈することになった
に違いありませんが、それ故にかえって、原爆の非道に対する力強い訴求力を獲得
するに至ったのでしょう。
さらにこの作品の魅力として忘れられないのは、まず一点は、「私は街に出て花を買う
と、妻の墓を訪れようと思った。・・・」で始まる導入の妙。その花が小説の題名になって
いるのですが、これから起こる悲惨な出来事の対極をなす情緒的な書き出しが、いや
が上にも読者を衝撃的な事実の描写に引き込みます。
もう一点は、極力目の前の現実を冷静に書き留めることに徹した著者が、極めて限ら
れた場面で心情を吐露する部分。「愚劣なものに対する、やりきれない憤りが、この時
我々を無言で結び付けているようであった。」という表現が、彼のやり場のない怒りを
余すところなく伝えています。
同様の表現法は、被爆前後を扱う三部作といってもいい『廃墟から』『壊滅の序曲』に
も見られ、それぞれ「惜しかったね、戦争は終わったのに・・・」、「・・・原子爆弾がこの
街を訪れるまでには、まだ四十時間あまりあった。」と記されています。
広島、長崎に原爆が投下されてから70年以上の年月が経過し、我が国でも被爆体験
の風化が言われて久しい今日、決して原爆反対を声高に叫ぶことはなくても、長く読み
継がれてほしい名著です。
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