2019年6月7日金曜日

鷲田清一「折々のことば」1479を読んで

2019年6月1日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1479では
ジャーナリスト・筑紫哲也の『スローライフ』から、次のことばが取り上げられています。

  「ああおもしろかった」と臨終の際にどこま
  で言えるかが、限りある生の勝ち負けを決め
  るものさしだと私自身は思っている。

勝ち負けというあたりは、このジャーナリスト一流の硬派なところだと推察しますが、
私も死の間際の時に、「楽しい人生だった」と感じられたら、理想だと思います。

勿論長い人生の中で、日常生活のランダムに一点を切り取ったら、大部分において
生きるということは単調で、代わり映えのしないものでしょう。

朝に目覚めて朝食を取り、午前中の仕事をして昼食を済ませ、午後の仕事に取り
掛かって夕食、自分のプライベートな時間を持って入浴して就寝、日常生活で
最大公約数として思い浮かぶのは、まずこんなところです。

このような生活を規則正しく繰り返せるのが、基本的に恵まれているということなの
でしょうが、勿論私たちはそれだけでは満足できません。

だから人生の節目をなす大きなイベント、例えば進学、就職、結婚などがあるとも
いえるのですが、それらがその人の生き方をある程度方向づけるとしても、決して
それだけで人生が充実していたとは、確信出来ないはずです。

ではどうすれば、最終的に「自分の人生が楽しかった」と感じることが出来るかと
いえば、私は恐らく社会の中の色々なものに好奇心を持ち続けて、ポジティブな
気持ちでそれらに関わり続けることが出来れば、最後に人生は充実していたと
感じることが出来るのではないかと、今は思っています。

つまり気持ちの持ち方こそが大切。私自身そのようでありたいと、感じています。

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