2019年6月12日水曜日

鷲田清一「折々のことば」1482を読んで

2019年6月4日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1482では
イラストレーター・山藤章二の随想集『昭和よ、』から、次のことばが取り上げられて
います。

  「二番手の奥床しさ」はとても文化的な心理
  なのだ。

私も何を隠そう、根っからの「阪神ファン」です。私の子供の頃は、「巨人、大鵬、
卵焼き」といわれて、圧倒的多数の日本人に人気があるのが、この3つでした。

卵焼きはさておき、大相撲で無類の強さを誇った大鵬、かたやプロ野球では、王、
長嶋の全盛時代で、勝つのが当たり前だった巨人、そのような雰囲気の中で、
いつも引き立て役に回る阪神を応援していました。

どうして阪神が好きなのかというと、関西で暮らすゆえの東京への対抗心、強すぎ
るチームは虫が好かず、弱いものがたまに強いものに勝つことに無性に快感を覚え
る反骨心、あるいは判官びいき、だと思っていました。

でも上述のことばを読んで、二番手の「滋味深さ」という山藤の分析に触れると、
私の「阪神びいき」も文化的な行為に思われて来ます。

でも確かに、圧倒的に強いものを応援することは、深く考えなくても日常のストレス
を解消出来るという意味で合理的かも知れませんが、逆に健闘するもあと一歩及ば
ないものを応援することは、敗北の悔しさを味わい、そこからの反発心をかき立て
られるという意味で、複雑な心の働きを味わうのかも知れません。

あるいは敗者の側に立つことは、敗れたものの心の痛みに思いを馳せることにも
つながるでしょう。

とにかく私は何といっても阪神が好きなので、別段その理由を深く考える必要もあり
ませんが、でもチームの負けが続くと、要らぬストレスを抱え込んでしまうのには、
我ながらあきれてしまいます。

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