我が国近代西洋絵画の礎を築いた、黒田清輝の没後90年を
記念する回顧展を観ました。
黒田は当初、法律を学ぶためにフランスに留学しましたが、
現地で多くの優れた美術に実際に接することによって、絵画に
魅せられ、画家に転向したといいます。
明治期、先進の学問を学ぶためにヨーロッパに留学した
使命感に富む人物が、自らが学ぶ対象を180度変えることは
並大抵ではないはずで、彼の初期のデッサンを年代順に
追って行くと、その美術を学ぶひたむきさ、目覚ましい技術の
向上が見て取れて、感銘を受けます。
パリで基礎を集中的に学んだ後、近郊のグレー・シュル・
ロワンに滞在して画業に専心した時には、みずみずしい感性を
うかがわせる魅力的な作品を描き、画家としての地歩を築きます。
帰国後、本場仕込みの絵画は高く評価されて、以降日本の
洋画界をリードして行きますが、西洋と日本の文化、習慣の
違いは、裸体画を巡る軋轢も生じます。
この醜聞への解答として、黒田は、代表作の一つである
「智・感・情」という三枚一対の裸体画を描き上げたといいます。
この作品は初めて目にしますが、金を下地に、それぞれの画面に
象徴的なポーズをとる一人の均整の取れた美しい裸体の女性が
確固とした存在感をもって浮かび上がり、崇高な雰囲気さえ
たたえています。
京都と縁の深い「昔語り」も、作品は失われていますが、数々の
下絵、図画稿が残り、観る者に黒田が大作に取り組む時の
周到さを示します。
全体を観終えて跡付けられるのは、彼が実直、誠実に本場の
絵画を習得し、そのエッセンスを自らの感性を介してわが国でも
受け入れられ、発展して行くものえと大切に育てていった道程です。
いろいろ毀誉褒貶はあっても、彼が西洋絵画の伝道者として、
優れた資質を持ち合わせていたことは確かでしょう。
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