2014年6月29日日曜日

京都文化博物館「黒田清輝展」を観て

我が国近代西洋絵画の礎を築いた、黒田清輝の没後90年を
記念する回顧展を観ました。

黒田は当初、法律を学ぶためにフランスに留学しましたが、
現地で多くの優れた美術に実際に接することによって、絵画に
魅せられ、画家に転向したといいます。

明治期、先進の学問を学ぶためにヨーロッパに留学した
使命感に富む人物が、自らが学ぶ対象を180度変えることは
並大抵ではないはずで、彼の初期のデッサンを年代順に
追って行くと、その美術を学ぶひたむきさ、目覚ましい技術の
向上が見て取れて、感銘を受けます。

パリで基礎を集中的に学んだ後、近郊のグレー・シュル・
ロワンに滞在して画業に専心した時には、みずみずしい感性を
うかがわせる魅力的な作品を描き、画家としての地歩を築きます。

帰国後、本場仕込みの絵画は高く評価されて、以降日本の
洋画界をリードして行きますが、西洋と日本の文化、習慣の
違いは、裸体画を巡る軋轢も生じます。

この醜聞への解答として、黒田は、代表作の一つである
「智・感・情」という三枚一対の裸体画を描き上げたといいます。

この作品は初めて目にしますが、金を下地に、それぞれの画面に
象徴的なポーズをとる一人の均整の取れた美しい裸体の女性が
確固とした存在感をもって浮かび上がり、崇高な雰囲気さえ
たたえています。

京都と縁の深い「昔語り」も、作品は失われていますが、数々の
下絵、図画稿が残り、観る者に黒田が大作に取り組む時の
周到さを示します。

全体を観終えて跡付けられるのは、彼が実直、誠実に本場の
絵画を習得し、そのエッセンスを自らの感性を介してわが国でも
受け入れられ、発展して行くものえと大切に育てていった道程です。

いろいろ毀誉褒貶はあっても、彼が西洋絵画の伝道者として、
優れた資質を持ち合わせていたことは確かでしょう。

0 件のコメント:

コメントを投稿