2026年8月5日水曜日

「鷲田清一折々のことば」3602を読んで

2026年3月24日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」3602では 美学者・会社員難波優輝の同紙の連載「にじいろの議」への寄稿(3月11日夕刊)から、次の言葉が 取り上げられています。    私たちは、技術を前提とするのではなく、    技術の意味を問わなければならない。 私たちは今尚、技術の発展への信仰に囚われているのではないか?新しい科学技術、医療技術が開発 されればもてはやし、それで社会が今よりも良くなると信じ込む。 確かに、技術の発展によって生活の質が向上したり、社会活動が効率的になったことは多々あるで しょう。でもそれが万能薬であるかと言えば、違うのでは無いか? 例えば、SNSの発達は、遠く隔たる多くの人が一瞬のうちにつながり、また親しい人とも直接に会わ なくても、逐一意思の伝達を行うことを可能にする。でもそこにはフェイクや扇動のリスクがあり、 親密な個人間の関係においても、SNSにかえって縛られたり、いじめの原因になったりするリスクが ある。 医療技術の発達は、人間の寿命を飛躍的に伸ばし、我々の死生観を根本的に変えたように思われる けれど、その反面、生命の尊厳への感覚を鈍らせ、ひいては倫理観の欠如や、生きる目的を見失う ような傾向を生み出しているように感じられる。 今正に、AIが行く末の人間社会に絶大な影響力を行使し、人間を支配するようになる未来が危惧さ ているけれども、技術の止めどない発展を前提にするのでは無く、長いスタンスでの真に人間の利益 になる技術を賢明に選択して、それのみを発展させるシステムを構築すべきではないか?そのような 思いを強くするこの頃です。

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